2021年8月28日の日記


2021年8月28日、雨宮天さんの28回目のお誕生日。

 

おめでとうございます。

ひゃー、28歳か、びっくりしちゃうね。

 

 

さて、相変わらず僕の中の「雨宮天さんはこういう人」という虚像を押し付けるのは好きじゃないので、自分のことを書くよ。

 

 

毎年毎年、雨宮さんのお誕生日はいろいろなことを振り返る日になりつつあります。

 「雨宮さんからもらってきたモノ」であったり「応援ってなんだろう」とか。

 

(19年のものは間違えて消してしもうたが...)

 

 

 

今年は「今に至る関係性であったり距離感」を、当時の自分とか振り返りながら考えてみようかなと思って何度か書いてみたんだけれど、最後まで書ききれんかったのですよね。

 

これは今が話すべき時の階層なのかなって思うと、なんだか、今じゃないよなあって思えてきて。

 

んー。

 

言葉にして返すなら、具体的にここかなっていうタイミングがあるので、もっと言葉にするべき時の階層で言葉を尽くして考えてみようかなって思うよ。

 

でもまあ、ここ数年、なんだか次のステップに進んだ感は間違いなくあって。

でも、なかなか言語化できていなかったので、いつかちゃんと、しっかり向き合ってみたいね。

 

最近は出勤時に『Next Dimension』聴くのが日課です。


んー。

 

でも、どんな距離感や関係になっても、雨宮さんに「こう在ってほしい」というのは僕にはほとんどなくて。

 

ただ唯一、「こう在ってほしい」と褪せることなく抱いている感情を言語化するとするならば。

 

ちゃんと自分に優しくあってほしいということなんだよね。 


昔も、今も変わらず。


 

そうだなあ。


自分をコントロールできなくなる感じ、制御できなくなる感じって、やっぱりいちばんその人らしい部分だと思うのです。

 

人の気持ちでいちばん隠されているモノで、人と関わっていく上でいちばん隠さなければならない、「所属」とか「役割」とか、しがらみに囚われない、いちばん“自分“である部分。

辛い時、そこに対しては、ちゃんと優しくあってほしい。

 

怒ったりすることはたしかに他人に迷惑をかけるかもしれないし、落ち込んでる余裕もないお仕事だよなあとも慮れて、人と関わることでそういう“自分“を隠したり見ないフリをする必要も出てくると思うんだけれど、それでも、ちゃんと自分には優しくあってほしい。

 

生きていてずーっと立ち上がって頑張れる人はいないし、いいことをする日もあれば、しんどくていいことができないこともある。

そういうときに自分はダメだなあって思ってしまうその人自身に「それでいいんだよ、そのままでいいんだよ。そういうキミもそのまま在っていいんだよ」って、自分自身が言ってあげられる世界があるといいな。

 


自分が楽なペースで、どこかでちゃんと自分に優しくあってほしい。

そういう気持ちは、昔も今も、屋敷の奥座敷に据えられた太刀のように、心の何処かで大切に置かれている。

 

「立ち上がれない」とか言ってられんお仕事であり人柄であるのはもう重々わかってるし、その気持ちに対して、もうなんども「それでも」というお返事をもらってきたけどさ。

 

でも、そこが僕の「応援」、その一連のプロセスというかシーソーゲームこそ僕が「応援」という関わり合いの中に在ってほしい光景なので、これからも応援させてね。

 

 


 

でも、その考えに行き着く過程の部分は結構変化あったのよね。

 

昔は少しネガティブな感情からというか、勝手に苛まれた気持ちから「そのままのあなた」の姿を願っていた節もあるのだけれど、もう、今はお互い、ね。

 

大丈夫ですよ。

これからは心配するのではなく、見守るだけでよいのですよ。

 

 

その移ろいの中にある色濃い思い出たちを想うと、なんだか優しくなれたり強くなれたり、へにゃってなっちゃうんだけれど、ありがとうね、僕は幸せです。




そうかあ、2021年、もう10年になるのか。

 

10年前の3月、僕は高校2年生。

  

当時僕はいろいろもう諦めてしまってて、 でも自殺する勇気もないから、「25歳くらいで心筋梗塞で死にたいなあ。このまま自分追い込んでストレスかけつづければ、いけるのかな」みたいなことをよく考えていて。

 

でも、どこかに「変わりたいなあ」という人格もいてくれてたようで。

  

(当時たくさん元気をもらっていた豊崎愛生さんのお陰で)その人格が少しずつ自我を獲得していった矢先の出来事が、「東日本大地震」と「ミュージックレイン第2回スーパー声優オーディション」なんですよね。

 

2011年3月10日発売の、声優アニメディア 2011年 04月号。

 

こちらには、『第2回ミュージックレインスーパー声優オーディション開催/ミュージックレイン・宮本氏に直撃インタビュー!!』が掲載されていて。

 

雨宮天さんはこのオーディションを経て事務所に所属されるわけなんですが、当時はそんなことも知る由もなくなのですが、宮本さんが求める人物像として語っていたことが、今でも印象に残っていて。

 

「努力する才能、これがないと絶対にダメですね。僕は努力って才能だと思うし、特別な才能があるかどうかより、日々努力出来るかどうかの方が大事だと思っているんです」

 

最初は「自分と同い年の人とか、受かってくれたら素敵だなあ」なんて思っていたのですが、この言葉に触れて、「きっと受かる人はそういう努力ができる人なんだ」と思うと、「どうせ俺なんかと諦めていたけれど、尖るほど頑張ったことってあったんだろうか」って思えてきて。

 

そこから、「自分の人生、本気で変えるチャンスってこの大学受験がラストなんじゃないか?」って思い、自分が居たい場所に向かって大学受験頑張れたのでした。

 

僕が苛みから最初に脱皮できたのは、その体験から。

乗り越えても、乗り越えてもまた同じ苛みは出てくるけれど、初めて一歩踏み出せたのはそこかな。

 

だから、宮本さんが実は僕の恩人だったりもするんですけれど(笑)

 

その節は、本当にありがとうございました。

 

なんか雨宮さんの誕生日なのに、少し違う方向性にいってしまったな(笑)

 

 

まあ、雨宮さんがこのオーディションを受けることを締め切り最終日ギリギリで決意してくれたお陰で、今の自分があるようなものでもありまして。

 

ちょうど10年だったから振り返ってみましたが、実際に出会ってからも、本当にいろいろな苛みから抜け出すキッカケを、都度都度くれてね。

 

 

どんな日も僕は僕の無力から離れてほんとうのひとりになれない。

 

自分が生きている日々すべてを、自分がちゃんと選んだとは思えない。

 

むしろ、流されてしまうこと、自分じゃ止められなかったこと、「そうせざるを得なかったこと」がいくつも自分の中にうずまいていて、それでも、それでもその日々が自分の人生として、自分の人格として刻まれていってしまう。

 

そのことにひどく疲れたり、悲しくなってしまうこともあるけれど、それでも、それでもその先にある明日や明後日が真新しいものであることを信じないでは生きていけない。そう、信じる勇気を、都度都度あなたはくれていたように感じています。

 

 

 

そう、都度都度なのよね。

 

いくら乗り越えても、乗り越えても乗り越えても、そういう痛みであったり苛みというのは生きてりゃそりゃ湧いてくるもので。

 

都度都度救われているのは、いろんな形で、声を届け続けてくれているからなんですよね。

 

お陰で、ちゃんと自分を諦めずに頑張りきてれています。

自分に優しくなれなくなった時、自分が楽なペースに戻すことができています。

 

いつもありがとうね。


んー。

 

なんか、今この瞬間に感じていることを取り留めなく書いているので、纏まりがないですね(笑)

 

でも、理路整然とせず心の中で動き回っている感情です。

 

 

普段ブログを書く場合は、どうしても声優アーティスト活動を通して受け取ったモノを書いてしまいがちなので、今回は「声優」に絞って書いてみようかなとも思っていたりもしたんですけれど。

 

「お気に入りのキャラクター、声色」とか「好きなキャラソン」とか、「好きな作品」とか。

 

ただ、ちょうど来年に雨宮さんが声優活動開始10周年を迎えられるので、来年まで蓄えておこうかなあって。

 

自由研究ベースでもいろいろ蓄えているので、ある程度ちゃんと成型して雨宮さんにプレゼントとかしたいな。

 

 

 

なんかね、どうしてもこういう時世になってくると過去ばかり振り返っちゃうけれど、本当にやりたいこととか、味わいたい時間ってまだまだたくさんあるんだよね。

 

それにはやっぱり、雨宮さんはもちろんだけれど、雨宮さんのお陰で出会えた素敵な友人たちが一緒じゃ無いと嫌で。

 

雨宮さんが最近、自身を一歩引いた視点で「雨宮天」というコンテンツでお話しされているような場面が所々であって、んー、こう、あの人を『コンテンツ』として捉えたいかというと少しよじれてくるんだけれど、「雨宮天」というモノを『居場所』として考えたとき、僕はやっぱり、周りの人たちと居たいんだよな。

 

日々の中で誰かと笑いあったり、気持ちが晴れたりするこもと勿論あるけれど、纏ったものがほろほろと解けていくような感覚になるのは、好きな人と言葉を交わした時だけのような気がするのです。

冷えきった身体をあたたかな湯船に沈めた時に思わず「あ〜」と声が湯と共に溢れ、脱力していくような、そんな感覚というか。

 

顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。

みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。

自分の生きた世界を愛している。

そう思えることそのものが幸せですね。

 

やっぱりこういう時世になると、もう2年近く会えていなかったりする友だちもいて、寂しさは隠せないモノです。

 

でも、特に今年は多いなあという印象なんですけれど、周りにいつも居てくれているみんながそれぞれいろんな一歩を踏み出していて。

 

そのたびに、お祝いするっていうのが今年はちょいちょい機会があって。

 

こういう風にそれぞれの一歩一歩を喜び合える人がいるって、めちゃくちゃ幸せだなあって。

 

 

みんな精一杯あなたに出会おうとしたからこそ、あなたが精一杯こちらに出会おうとしてくれたからこそ、繋がれたんだなって思います。

 

今少し喉奥が痛くなっています。

 

多分、ワクチン2回目を今日打ったので、その副作用。

 

自慢してやりたいくらい、本当に、お陰でね、素敵な友人たちに恵まれた有り難みを、立ち止まりにいつも感じます。

 

 

そうそう、「供養絵額」というモノを最近知りまして。

 

江戸時代、亡くなった方を供養するために、その人が生きていたときに最も充実していた時間を描き、あの世でも同じように過ごして欲しい思いを込め寺院に奉納された絵だそうで。

 

いや、なんか、深い意図はないんだけれど、僕の供養絵額は、雨宮さんやみんなといる光景なんだろうなあって。

 

絵額というよりはもう、巻物になるくらいね(笑)

これからも末長くいろんな思い出作っていけたらいいな。

 

ワクチン2回目の副反応で今熱が38.3度あって、これが遺言にならないことを祈るばかりなんですが…(笑)

 

ひとまず、先日Netflixで公開された『ウィッチャー 狼の悪夢』観ながら安静にします(´×`)そんでもって、ここ乗り越えてリサイタルですね。楽しみにしています。

 


2021年8月28日。

毎日がそれどころじゃなくなってもう随分と経ちますね。

 

お誕生日、おめでとうございます。

これからも、よろしくね。