平家の末裔が見た、アニメ「平家物語」


TVアニメ「平家物語」

 

イントロダクション

《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす》

平安末期。平家一門は、権力・武力・財力あらゆる面で栄華を極めようとしていた。亡者が見える目を持つ男・平重盛は、未来(さき)が見える目を持つ琵琶法師の少女・びわに出会い、「お前たちはじき滅びる」と予言される。

貴族社会から武家社会へ――日本が歴史的転換を果たす、激動の15年が幕を開ける。

 

公式サイト:https://heike-anime.asmik-ace.co.jp/

原作:古川日出男訳「平家物語」河出書房新社刊

監督:山田尚子

アニメーション制作:サイエンスSARU


TVアニメ「平家物語」を拝見した。

 

全11話の中で、“びわ”という琵琶法師の少女が、平重盛と出会い、平家一門との生活の中で交流を深め、物語の一部始終を見届けるというお話。

 

従来は琵琶法師の語りにより、伝聞的に私たちの元へと語り継がれてきた「平家物語」。

 

このアニメでは、“びわ”という少女が平家一門と直接関わり交流することで、私たちが伝聞の中では獲得し得なかった「彼らの生」に触れ、そしてだからこそその死に様、「盛者必衰」という理をよりリアルに体感することができるように感じています。

 

また、“びわ”には平家一門の行く末が視える力が備わっていたこと。

 

そして、行く川の流れは絶えずしてしかしもとの水ではないように、“びわ”にはその時の流れを、変える力が無いということ。

 

 

公式サイトの『琵琶コラム』に、次のような一節がございます。

 

 

>「平家物語」で、清盛は先述のように極悪人的扱いですが、アニメ「平家物語」の清盛は "おもしろかろう?"という口癖など、じつに愛嬌がある人物に思えます。 "最期" を迎え "入水" してしまう登場人物たちも、平敦盛のポジティヴな性格と非業の最期の対照、平清経の入水に至るまでの細かい心理……。それぞれの生きた証・情・死に様が、表情・声優諸氏の声色・台詞そのものなどから、アニメーションならではの繊細さで伝わって来る。その上、オリジナルキャラクターである、びわが琵琶で「平家物語」原典からの抜粋を弾き語るシーンもあり、立体的に物語は進んで行きました。まさに "語るアニメーション"とも言える、新たに更新された「平家物語」が成立したと言ってもよいでしょう。

 

このアニメーションはただ単に、源平が争って平家は滅びたという『歴史的事実』(マクロな歴史)ではなく、その当時を生きた人たちの人間性、営み、驕り、想いといった物語(ミクロな歴史)を丁寧に、とても丁寧にに描いていて。

 

 

今、こうして「平家物語」に触れる私たちは『平家の行く末』を知っています。

それは変え難い、歴史的事実です。

 

 

そのリアルな「生」が描かれれば描かれるほど、視聴者は“びわ”という見届け人の語りを通して、変え難い『歴史的事実』の前にとても大きな無常を感じてしまう。

 

とても斬新で、緻密で、美しいアニメでした。

 

 

私は歴史、とりわけ日本史という教科が昔から大好きな人間でした。

 

でも、そうじゃない人、歴史にあまり興味がない人や歴史という教科に苦渋を嘗めさせられてきた人にも「おもしろい」と思ってもらえる作品だと思うので、ぜひ観てみてください。


このアニメから感じたものは多様にあって、平家物語で描かれた彼らについても諸説あって製作陣がどの説を取っているのかとか、考察のやり甲斐は多分にあるアニメだと思います。

 

でも、ここでは、平家の末裔だからこそ感じさせてもらった部分について掘ってみようかなと思います。

 

アニメ本編のネタバレを含みます。

(歴史的事実にネタバレがあるのかはわからない)

 

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アニメの最後、生き延びた平徳子(建礼門院)は京都・大原の寂光院というお寺に入ります。

平家一門の菩提を弔うためです。

 

そして、そこに後白河法皇が訪ねて来て、二人の対話を以てエンディングとなります。

 

(場面カットではありましたが、徳子の最期まで描かれているので厳密に言いますとそこまでとなりますが。徳子の最期についても平家物語では記されています。彼女がその後どう生き抜いたかはアニメ公式様の解説が詳しく分かり易いので、そちらをご覧ください。【公式解説】

 

実際にこの場面も、オリジナルの平家物語で描かれています。

それが、『灌頂巻』という巻、平家物語の最終巻となります。

 

えー。

 

実は直前の巻第十二にて、「清盛が築き上げた平氏政権の名残の平家一門は、永久に滅亡した」と語られておりまして。

 

そう、平家の子孫は滅亡したと描かれています。

 

 

ん?

ええ、平家の末裔です。

まあまあ、落ち着いてください。

 

 

そしてその次巻である『灌頂巻』。

この巻は言わば、生き残った徳子(と返す後白河法皇)による後日談です。

 

『平家物語』は冒頭部分、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」こそ、有名ですよね。

 

とは言っても、平家物語が現代まで語り継がれている大きな要素である「盛者(栄枯)必衰」、「無常観」というものは、実はこの最終巻の生き残った徳子を通して語られている多くにあると言っても過言ではないように思います。

 

徳子がどんなことを語っているかは、ぜひアニメを見てみてください。

 

現代に通じる無常観が感じられる素敵な口語訳、情景描写、早見沙織さんの演技だったように思います。

 

そんなこんなで、平家の物語は終わりを迎えます。

 

巻第十二にて記された平家の永久の滅亡。

『灌頂巻』にて記された、徳子の最期による、本当の意味での平家の永久の滅亡。

 

 

 

終わってはないんですよね。

だって私は、平家の末裔だもの。

 

ここからは、“びわ”が見据えたもっと先の平家のお話。

 

私は確か小学生の高学年頃に、父親から「うちは平家の末裔だ。壇ノ浦で負けた後に鹿児島まで逃げた家系だ」と教えられました。

 

小学校ではいよいよ社会の授業が「地理」的分野から「歴史」へと移り変わっていた頃。

 

教科書に載る自分の祖先たちが誇らしく、そして初めて平家の末路を知った時、とても寂しい気持ちになったことを憶えています。

 

でも、しっかりと「家」のことを調べたのは大学生になってからだったりして。

 

小学生の頃は運動会で赤組になっては赤白帽に小さく「平家」と書いてみたり、中学生の頃は塾の先生に「平家」と呼ばれていたり、塾の勉強合宿では鉢巻にみんなが「志望校」を書く中で私は「平家復興」と書いていました。

 

無事に、自分だけ公立高校に落ちました。

 

 

そんな風に、なんとなく「自分が平家の末裔である」ことをアイデンティティに小中高と過ごし、大学へ進学。

ここが、転機でした。

 

ゼミに所属して最初に教授から出された課題が『自分の家の歴史を調べてくること』でした。

そこでようやく、平家物語の最後から今の自分に至るまでの空白が埋まることになります。

 

 

訳あって伏せないといけない部分があるので簡潔に、判明した『平家物語』後の我が家系についてご紹介します。

 

・「壇ノ浦の戦い」にて敗れた落人五人が鹿児島県に流れ着く

 

・その内、二名が定住した先で、一帯の風景が山城に似ていたことから茶の生産を始める

 (鹿児島のお茶の起源という説)

 

・1590年代末期から1600年初頭ほどに、山裾の別地区に本家分家揃って移住

 

・1728年ごろから祖先を祭る氏神祭りが現在に至るまで行われている

 

(地区内の本家分家30軒から一人ずつ代表者が出て、本家の社を初め氏神三カ所と水神に赤飯を備えるお祭り)

 

(古文書が火災で焼失したため祭りの出自は不明だが、伝承では1650年ほどから祭りは行われている)

 

 

・1930年ごろ、祖父幼少期、一団で鹿児島から満州に渡る

 

・第二次大戦勃発。祖父、海軍の山口県光基地へ入り特攻機「海天」の候補生となる

 

・終戦、祖父は秋にウラジオストックへの特攻が決まっていたが生き延びる

(祖父の言葉を借りるなら、「友たちを裏切り、ひとりだけ生き延びてしまった」)

 

     

そういう歴史の上に、私は立っている。

 

 

アニメ放映中、こういう歴史の上に立っていると、まざまざと思い知らされました。

 

読んだことがあるので知ってはいたけれど、毎話毎話しんどかったです。

 

 

「平家にあらずんば人にあらず」とまで言わしめ、驕り高ぶり人々に与え続けてきた苦しみが積み重なって返ってきて、滅びた先祖たち。

 

でも、“びわ”の目線で描かれる彼らは人間味があって、でも、歴史は変えられんから、零れ逝く命を掬えないことがなんだか、しんどかった。

 

しんどくても、目に焼き付けようと思っていました。

 

今の自分は、何の上に立っているのか。

 

 

最終話。

生き延びた徳子に、後白河法皇が問う。

 

「どうすれば、苦しみを超えることができるかのう」

 

徳子は答える。

 

「祈りを...。私にもまだ忘れられぬ想いがございます。ですから、ただただ、こうして愛する者を想い、そのご冥福を祈る。ただそれが、私にできること。」

 

清盛や重盛、宗盛や維盛に資盛、そして帝(安徳天皇)。

 

悪名高く驕り高ぶった故に因果応報の浪に消えた一門を、それでも「愛するあなたたちが、この世で負った苦しみから解き放たれ、来世で幸せに生きられますように」と祈り続けた徳子。

 

また別の場所で、“びわ”は琵琶を鳴らし物語を語り継ぐことで祈りを捧げます。

 

どうか、平家の人々の悪評ばかりが伝わりませんように。

どうか、平家の人々が人間らしく生きた証が残っていきますように。

どうか、この物語を聞いた人が彼らのために手を合わせてくれますように。

 

 

ずっと、言いたかったことがある。

 

平家物語は『平家の悪名』を広める物語じゃない。

 

どうしても古典や日本史の教科書で習うマクロな歴史では「驕る平氏が因果応報で滅びた物語」として側面的に受け取られがちじゃないかなと思う。

 

アニメ最終話のような後日談が平家物語にあると知っている人は、この日本に幾らいるだろう。

 

 

平家物語は『平家』の物語ではないと思う。

世に無常を感じながらも、愛する人のために祈りを捧げてきた人たちの物語だ。

 

どうして、平家物語は800年も語り継がれてきたのだろうか。

平家なんて、800年も前に滅んだというのに。

 

世の中に「無常」はいつだって、800年前も今だって在って。

人々は「苦しみ超えたい」と何かにすがりたがっている。

 

 

どうすれば。

 

「どうすれば、苦しみを超えることができるかのう」

 

 

徳子の答えも踏まえて、こう答えたい。

 

「祈りを...。自分を支えてくれるものに思いを馳せること、忘れられぬものを、愛するものを想い心に宿すこと。」

 

 

どうか、この物語を聞いた人が自分の愛する人のために手を合わせてくれますように。

 

 

私の場合のそれは、親や祖父母、もっと昔から今の僕に繋いでくれた先祖たち。

そして、今、自分が大切にしたいものたちだった。

 

 

祇園精舎の鐘の声。

 

旧暦3月24日、壇ノ浦の戦い。

 

新暦3月24日、アニメ最終話の放映日。

 

 

いま私は、そんなことを思いながら、ここに立っています。

見守っていて、くださいね。

 

ただ、春の夜の夢のごとき今を、一生懸命生きていこうと思います。