僕の生まれ育った福岡県は、地方ならよくあることだと思うんだけれど、「公立高校」至上主義だった。
時代や制度もかわってきているので今はどうかわからないけれど、当時、例年に漏れず中学3年生の僕らは「私立に行くのは負け組、親不孝者」という固定観念に支配されていたように思う。
まあ、そんなこんなで、2009年3月18日。当時の自分なりに頑張って、迎えた合格発表。
受験番号の135番、なかったよね。
僕だけ、落ちたよね...(笑)
あの日は、全部を憶えているんだよな。
掲示板の前で母親に送ったメールの文面も。
自分は喜んでいいのに気遣いながら一緒に帰ってくれた幼馴染の優しさも。
滅多に口出しをしてこなかった父親がかけてくれた言葉も。
その日聴いた「ナツメブラザーズ!」の放送内容も。
そんでさ。
いざ高校に入って友人たちと最初に意気投合した内容がさ、『公立落ちたあの日どうだった?』話なのよ(笑)
特進クラスで多少学習に対して意欲的な面々だったからこそもあるんだろうけれど、「やっぱり俺たちって負け組だよなあ」って、ベランダで弁当囲みながら自嘲しあっていたのを憶えている。
高校の最初の1年間は、どんなに友だちと楽しんでも、なんだかずっと鬱屈した気分が晴れない感じがあった。
そんな僕に、「こんな自分のままじゃダメだ」とか「まずは今を頑張ろう」って思わせてくれたのが、豊崎愛生さんだった。
お誕生日、おめでとうございます。
とりわけ、2010年、高校2年生春。
「豊崎愛生のおかえりらじお」が始まってからの毎週木曜日。その存在が、僕の人生にはとても大きかった。
ドアを開けて部屋に入れば、「日々の鬱屈」や「自分の不出来からくる不安」を優しく包んでくれる空間がそこに在った。
ドアを開けて部屋を出れば、「大丈夫。明日からもちゃんと、今を頑張っていこう」と前を向けている自分がそこに在った。
小学生のころからラジオっ子で、地元FM局「クロスFM」から入り、「TOKYO FM」や「ニッポン放送」みたいな全国ネットの番組、声優さんのWebラジオなど、局を跨ぎいろんなラジオ番組漬けの日々を過ごしていたけれど、なんというか、「豊崎愛生のおかえりらじお」は驚いた。
とにかく異質だった。
ラジオパーソナリティの人って、リスナーにとっての「カリスマ」的存在だと思っている。
話が面白いクラスの中心的存在と、いっしょにわーきゃー盛り上がっている感じ。
その取り巻きの中でも、僕は割と「一緒に冗談言い合って笑かしたい」タイプだったから、頻繁にメールを書いていたんだろうな。
でも、「おからじ」は、なんか違った。
ドアを開けて、そこに「やっほー」と居たのはカリスマではなく、等身大の「豊崎愛生」という人だった。
同じ世界を生きていて、でもちょっぴり自分とは違う世界の見方をしている人がそこに居た。
「自分もそういう世界の見方をしたい!」という以前に、「こういう風に世界を見てもいいんだ!」と赦されていくような自分がそこに居た。
「そんなあなたもいていいんじゃない?」って。
ほっこり、自分に優しくなれていく日々だった。
「豊崎愛生」という人がパーソナリティを担当されていたからこそ、「おからじ」はそういう番組になっていたんだと思う。
そして、その「豊崎愛生」という『人』を中心とした番組構成やコーナー作り、時々に合ったメールの選定が、その「豊崎愛生」という人の語りの面白みをアンプの様に増幅させていたように思う。
特に「声日記」、大好きだった。
何度、天井を見上げたことか。
何度、泣きそうになるのを堪えたことか。
そんな木曜日が、あの頃の僕を支えてくれて。
そんな木曜日が、「今ここでまた頑張らないと自分は一生頑張れない人間になってしまう」と、次第に気付かせてくれて。
「こういう風に世界を見てもいいんだ!」という赦しが、「自分もそういう世界の見方をしたい!」という夢に変わっていった。
2011年、高校3年生春。
大学受験に向けて、僕は「おからじ」を聴くのを止めた。
「おからじ」だけじゃなくて、他のラジオを聴くのも投稿するのも、モバゲーとかブログ投稿とかも、野球を観るのもアニメは...見てたな(笑)
今だってそうだけれど、あの頃はもっと不器用だったからそういうやり方しかできなかったんだよね。
大学受験が、僕の人生を変えるラストチャンスだと思ったから。
甘えを全部取っ払って、とことん頑張ってやろうって思ったから。
そう決意させてくれたのは、「頑張っておいで」と背中を押してくれたのは、「おからじ」だった。
参考書には番組ノベルティの栞を挟んで、その存在が何度も折れそうになる心を留めてくれた。
そこまでして、「しっかり第一志望の大学に落ちる」のが、僕という人間らしいところではあるんだよな!!!(笑)
でも、公立高校に落ちた時よりの失望感はなくて、報せを受けた時には充実感でいっぱいだった。
「自分は負け組だ」っていう諦観はそこに無くて、「やりきった」という気持ちだけがそこに在った。
第二志望で進学した大学も自分が求めていた環境だったのもありショックが薄かったのもあるんだろうけれど、あれだけ清々しい「新生活の始まり」はそれまでの人生にはなかった。
人生を変えられたと思ったんですよ。
なっちゃん、あなたの番組だったんですよ。
それから時は流れ。
また「(TrySailの)TRYangle harmony」でも。色川先生としてお会いしましたね
「これはイケるわ…!」ってメールが採用されたとき、時折聞こえてくる先生の笑い声が嬉しかったです。
時にポロっとパーソナリティの三人に言葉を挟み、より会話を盛り上げてくださったことが幾度もありました。
「毎週すべてのメールに目を通している」というお話を以前してくださいましたね。とんでもない数量だったと思います。その「ちゃんとメール読んでくれている感じ」はメールの順番とかにも表れていて、「先生そう、最高のタイミングだよ!」と唸ったこと、幾度もありました。
たくさん、たくさん嬉しい瞬間がありました。
これまで毎週数多く投稿してきましたが、それを続けられたのは、「先生も笑顔にしたい」というモチベーションもあったからです。
ラジオのメールってそういうものだと思うから。
いつの間にか「四人」に向けてメールを書くようになった自分がいました。
「トラハモ」も長くなりましたね。僕が過去に投稿してきた、そして今も投稿している他番組と比べ過去1番長く投稿させてもらっている番組になりました。
おからじの頃と合わせると、もう、数千通は先生に読んでもらってるんじゃないでしょうか。
間違いなく、これまででいちばん僕のメールを読んでくださっている方は色川先生です。
心の内は、「まだまだ先生にメールを読んでもらいたい。先生に選んでもらいたい。」そんな想いでいっぱいです。
先生、おかげさまで僕はこれまでずっとラジオが大好きでいられました。
心から、お礼申し上げます。
ありがとうございます。
これまで先生が作ってくださった番組と僕はこれからも生きていきますし、仮にその番組が終わったとしても、思い出と共に前を向いて生きていけそうな気がします。
どのようなご決断をされても、あなたをずっと応援しています。
それでは、メール書いてきますね。