【感想文】雨宮天「衝天」/「Oh, it's so dreamy!」


雨宮天さんの14th シングル『衝天』『Oh, it's so dreamy!』を聴いて、今見えてるコトについて。

 

『私はライブでは曲ごとの世界観を可視化したいんですよ。』

『それぞれの曲を可視化するようなステージにしたい。』

雨宮天「PARADOX」インタビュー|ポップに突き抜けた新境地の10thシングル - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

と自身のライブパフォーマンスについて語っている雨宮さん。

 

「それならば」と、雨宮さんの『可視化』が届けられる前に自分の心を震わせたものを言語化しておきたいなと。

      

まだそのお弁当箱に押し込めるのは早いなあということ、ライブの可視化と和えたいなあということはカットしつつ、以上の二点をベースに、コトコトと煮込んでいければなと。

 

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「衝天」

作詞:古屋真 作曲・編曲:伊藤翼

 

Oh, it's so dreamy!

作詞・作曲:雨宮天  編曲:宮永治郎


01.衝天

 

アーティストデビュー10周年yearの幕開けとなる14thシングル「衝天」。

すごく胸が熱くなる、何かあたたかい気持ちが込み上げてくるタイトルですよね。

 

1stシングルの「Skyreach」から始まったアーティスト活動。

タイトル的にも繋がりを感じられる14thシングルの「衝天」は、理想に向かって手を伸ばされ続けてきた雨宮天さんの一瞬一瞬の積み重ね・集大成のようにも感じられて。

 

後述すると思うけれど、その雨宮さんの積み重ねを受け取らせてもらい続けてきた日々も一瞬一瞬同時に思い出されて、なんだかぽかぽかするものです。

 

「Skyreach」を制作された古屋真さん、伊藤翼さんとの再タッグとなった今回の「衝天」。

 

「Skyreachのような強いロックの曲、かつ、この10年を感じさせるものでお願いします。」

(声優グランプリ2024年3月号)

「Skyreachから10年を経て今の雨宮天をあらわす曲を作ってください。」

(Radio青天井92回)

 

と、お二人に依頼されたこともお話ししていましたが、本当にその通り、MV先行公開で初めてフルサイズを聴いた際に、曲全体を通して特に印象に残ったのは『10年経った円熟み』だったんですよね。

 

その辺りのお話も、ちらほらと。

懐古的な、おじいちゃん目線が多くなっちゃうと思うんですが、これは私の中に起きた出来事なので、そこはご容赦を。


大事なことというか、1番嬉しかったことを1番最初に書く。

 

「受け入れる」と「受け止める」について。

 

Radio青天井92回でこの「衝天」の歌詞について、当初作詞の古屋さんからは「10年を経た円熟み、いろんなものを受け入れていくような歌詞」があがってきたことに触れつつ、その後のやり取りを次のようにお話しされていましたね。

 

「10年を経た円熟み、いろんなものを受け入れていくというのを自分と重ねた時に、何かを受け入れていれるほどの余裕までは持ってないなって思ったんですよね。私は取捨選択しながら自分のいいと思ったものを選び取って、自分なりに道を突き進んでいく方で、まだすべてを受け入れていく包容力の方はまだ持ち合わせていないので、そこは削ってくださいってお願いしました。そこで、一度私の今の在り方を説明して、あがってきた歌詞なんです。デビュー時になかった余裕感は少し手にしたけれど、まだすべてを受け入れる強さまでは持ってないなから、がむしゃらにまだ進んでいくぞっていう、10周年にふさわしいシングルを書いてくださいました。」

 

声優グランプリ2024年3月号でも、

「歌詞も最初に古屋さんに書いていただいたものはもうちょっと落ち着いていたというか、どちらかというといろんなものを受け入れていく姿勢だったんですよ。でも、私は嫌いなものまで受け入れる気はないぞと思って(笑) 。いったん受け止めることはあっても、それをそのままで受け入れるのではなくて、あくまで自分の信じた道を進んでいく方向にしてくださいとお願いした結果今の歌詞になって、この『衝』という感じがしっくりくるなと思って、『衝天』というタイトルになりました。」

 

「受け入れる」と「受け止める」。

 

2016年、“Various SKY”の頃に雨宮さんがこの「受け入れる・受け止める」についてこだわりを語っていたことがあったんですよね。

 

そうだなあ。

 

今になっても『受け止める、受け入れる』のこだわりの話をしてくれてるの、すごくエモいし嬉しいなあって思ったのでした。

 

ちょっと、長話をします。

 

これは、その2016年“Various SKY”後に友だちみんなで作った雨宮天さん本で寄稿した文章から抜粋したものです。

当時の僕が見ていた雨宮天さんの虚像がそのまま書かれています。

 

たぶん、今度のツアーでも似たようなことをブログに書くと思うのだ。

 


『Various BLUE』のリリースイベント大阪では、曲をもらった際に「受け入れる」と書かれていた歌詞を「受け止める」に替えてもらったというお話をされていました。これに該当するのは『After the Tears』。受け入れるのではなく、受け止める。先程の繰り返しになりますが、「どうせ私には。」と受け入れスタイルを変えていくのではなく、「こういうことはできない。」と受け止め、スタイルを貫き、自分の人生を成功させる為に自分をどう研ぎ澄ませればいいのか考え進んで行ける、雨宮さんはそういう「カッコイイ人」なんじゃないかなと。

 

“どんな未来でも受け止める私でいたくて 今はもう振り向かない”

 

まさに代名詞と言って過言でもない、雨宮天さんのデビュー曲『Skyreach』の歌詞です。どこか

その歌詞に、その鋭い姿に、初めは少し胸の苦しさを覚えた事を思い出しました。でも、今はその歌詞がまさに雨宮天さんだと感じます。

 

“みんなといれば 私らしく いられるよ きっと 

どんな自分も 受け止める勇気 くれたの

ありがとう 大好き そんな気持ち 愛をこめて 歌おう”

 

「私は自分ですごく弱虫だと思うんです。すぐいじけるし、心が折れるし。それでもやってこられて、今いろんなことがうまくいっていて、幸せだなぁと思うし、自分のことを前よりも肯定できているのは、本当に皆さんのおかげだなと思います。」

 

そういう想いで曲を選んだとリスアニ!vol.26.1で語られていた『After the Tears』の歌詞です。

 

以前のお渡し会及び伝声管のブログ記事にて、

「人が自分を受け入れてくれているという前提が自分の中に無いので人と話すのが怖いのです。」

と、仰っていました。

実際にデビュー以前の様々なイベントや初めてのプレリリースイベントにその後のソロイベント、大きなステージの中でその言葉通りに見受けられました。その不安は計り知れないものだったと思うのですよね。

だからこそ、ソロイベントでのこちらを凄く気遣ってくれる姿が、その優しい空間がとても心地よくて。その空間は様々な空を重ねるに連れ心地の良さが増していきました。

 

僕自身もそういった前提が自分の中にない人間だったりするのですが、雨宮天さんのイベントは「受け止めてくれている。」と凄く感じるのですよね。

 

14年大晦日に「変わらなければ」という記事を更新してからは、だんだん見違える程に本当にその時々の時間を楽しまれていて。

場を重ねるごとに語られる量も多くなり、その内容もより御自身の考えに近づいていきました。ブログの記事でも時折自分を曝け出してくれる事が増えてきた様に感じます。

 

『Various BLUE』のリリースイベント東京昼の部では次の様に語っていらっしゃいました。

 

「同じ日本語でも自分と相手では分かり合えてないって事はある訳で。でも、発信していけば考え方は伝わると思うんですよね。なるべく自分の考えを書いて、全て伝えきれないにしても回を重ねる事によって伝わったらいいなって、人間性を分かってもらえればいいなって。正確に伝えることは出来なくとも、言葉の定義を狭める事は出来るんじゃないかなって。私のブログを読んでくださる方々は私に興味を持ってくださっている方々なので、なるべく私がどんな風に考えているのかを書くようにしています。」

 

自分の曝け出す事って凄く怖いことだと思うのです。でも自分に興味を持ってくれている人になら人間性を曝し出してもいい、そう思ってもらえているのかな、と。

 

同じくお渡し会及び伝声管のブログ記事で

「ファンの方は凄く私を受け入れてくださっているのだなと肌で感じられました。」

と、仰っていました。そう感じてもらえているのだと知れたその一言が、どんなに嬉しかったことでしょうか。あの日、伝声管で応援してもらった事以上に、その日の記事のその一言がとても嬉しかったことを憶えています。

 

先程言葉を引用した『Various BLUE』のリリースイベント東京昼の部では、登場から19分立ったままフリートークをされていました。凄く楽しそうに、饒舌にお喋りされている姿が、曝け出してくれている姿がとても嬉しかったです。凄く考えて、言葉を、自分の言葉で届けようとしてくれる人だから勘違いしたり、甘えないようにしなくちゃ、ではありますが、その言葉を大事にしたいと思います。

 

「前は『苦しいけれど前に進まなきゃいけないんだ。』っていう目線の鋭い気持ちだったのに対して、今の自分は前に進んでいけるなんだな、という自信を得た事で、楽しみながら明るく前に進んで行ける自分がいます。」

 

 

そうお話ししてくださっていましたね。雨宮天さんがどんな未来を受け止めようとも、「自分の自分への理想」に向かってこだわりと成功体験をエネルギーにして楽しく前に進んでいって下さるなら、どんな雨宮天さんでも受け入れていきたいですね。

(ここまで抜粋)


なーんてね。

 

僕から見る雨宮さんって、芯の部分はビックリするくらいね、変わってないんですよ。

本当にブレずに真っ直ぐ、時折へにゃってなるけど(笑)、かっこいい人だなあって。

 

“The Only SKY”でも、たしか“SKY”でも雨宮さんのMCにこの「受け入れる」や「受け止める」が出てきていて、その使い分けてる感じが相変わらずで、すごく嬉しかったことを憶えているのですが。

 

雨宮天さんのイベントは「受け止めてくれている。」と凄く感じるのですよね。って書いてるけれど、今はすごく「受け入れてくれてる」方をすごく感じるんだよなあ。

 

雨宮さん、僕らに対しては「みなさんは私を受け入れてくれる」って言ってくれるんですよね。

それを最初に聴いた時、なんかもうすごく嬉しくてどうしようもなかった憶えがあります。

 

何を話したかったんだっけ。

 

そうだ。

この曲、本当に、こう「受け止める強さ」がある曲だなあって聴いてて思うのです。

 

「Skyreach」の時とはまた違った、円熟みのある強さだなあと今は漠然と思っていて。

 

それをちょっとこれから、曲に対して自分の解釈や受け止めたものを解きほぐしながら、見つめていきたいと思います。

それをヒントに、ツアーの中で、自分がこの曲を受け取った意味を見つけられたらいいなあ。

 

 

【悲報】ここまで序文


1Aからすごく好きな歌詞なんだよな...。

「“鳥みたいに飛べたら”と〜」の入りからのアンニュイさ、不安定な感じがすごく刺さる...。

 

その不安定な感じがあるからこそ、Bメロやサビの意志を持った気高さがより際立っていて。

だからこそ、それが「かっこよさ」として、こちらの心により深く届けられているのかなあと。

 

そのアンニュイさが思い出の中の雨宮さん、Skyreachの頃の雨宮さんが見せてくれていた不安と闘っている様子と重なって見えて。

 

というより、誰しもが「何かを変えたい」って時ってすごく不安で、現にいま自分とかまさにそういう状況でめちゃくちゃアンニュイなんだけれど(笑)

 

なんだろうな、こう。

出だしのアンニュイな雰囲気を纏った歌唱に、こちらもしっかりアンニュイな気にさせられていて。

そこの表現力がまず流石だなあっていうか。

 

 

詳細はたぶん後述。

 

一人ひとつ 見えない重力を

持たされ 誰だって 羽ばたいてる

自分だけの空で

 

ここの歌詞、すごく好きだなあ。

 

誰にだって、辛い時悲しい時は定期的にあって用意されている。

その時をどう生きるかは自分次第で、みなそれぞれの仕方で、必死にこの残酷な世界を愛そうと、そのロジックを組み立てているんだ。

 

止まらない時間の中で、誰だって、一人で。

 

 

Bメロの上昇気流感がすごく好きで。

 

あおしゃべりの中で、「『気高さのイメージは〜』ってあるんですが、そこはこだわりポイントで。そこから場面がガンって転換するような感じがあって。ふわって空気で包み込むような(笑) イメージで場面転換表せたらいいなって。より息の量増やして、ふわって広げるようなイメージでやらせていただきました。」

 

とお話しされていたところなんですけれど。

 

気高さのイメージは白く 広く 飲み込む流星

自由落下を受け入れて

 

気高さのイメージを語る一節。

この「自由落下を受け入れる」と言えるのって、しなやかな強さだなあと思っていて。

 

落下、墜落。

力無く堕ちていく、そんな意志薄弱とした姿の方がAメロのアンニュイな姿からは繋がるんですけれど。

でも、この曲の主人公はその重力やプレッシャーを翼に受けながら、それをものともせず、風を操り滑空している。

 

全てを受け入れ、操る。それもまた強さだなあとも思えて。

 

どっしりと構えて全てを受け入れるような強さや余裕っていうのも憧れるけれど、なかなかそこに行き着くのは難しくて。

 

個人的に仕事で欠点としてよく指摘されるところなんだけれど...(笑)

それこそ、そこでよく気分的には墜落しちゃうんだけれど。

 

でも、そう、「でも」なんだよなあ。

 

今はそうなれないまま 

弾かれて 研ぎ澄ますよ

 

高く もっと先へ

 

ここの歌唱の強度がすごく好きで。

なんだろうな、こう。

 

そんな自分を受け止めた上で、高くもっと先へ手を伸ばしていく姿がそこに在って。

それにすごく、魅せられる自分がいる。

 

よく雨宮さんの楽曲たちを総じて「闇を切り裂いている」系の曲みたいに言われるけれど、僕はそういう雨宮さんの曲がすごく好きで。

 

なんだろうな、こう。

自分が在りたい姿勢を示してくれるというか、へにゃってなってる時に聴くと「それでも」ってまた起き上がる力をくれるというか。

 

「ただ元気をくれる曲」なら世の中にはたくさんあるけれど、雨宮さんの曲は一度その闇の部分も掬ってくれるようなところがあって、好きなんだよな。

 

自分が闇の中で闘ってるときに「頑張れ!」って言われても「頑張ってるだろ!!」ってなるじゃない?

(関係値によっては響くものもあるけれど)

 

雨宮さんの曲は、同じ闇の中でまず一緒に闘ってるような姿を歌唱で表現してくれるから、不用意に身を預けやすくて。

そしてどの曲たちも意志を持った主人公像が描写されているから、気がついたらそんな姿に魅せられていて。

 

この曲も、序盤のアンニュイな感じに、「ああ、自分もそうなんだよ」って引っ張られて、こちらも自分が抱えている不安だとか悩みだとか、問題だとかを思い出す。

 

けれど、このBメロは、一緒に上昇気流に乗せられてふわっと巻き上げられるような、蓋をするように頭上を覆っていた厚い雲を突き抜けるようなパワーがあって。

 

そして、サビ前の微かな休符でパッと開けた視界の先に見えるんだよなあ。

理想、自分だけの大切にすべき美しい光景が。


1サビ。

「Skyreach」を感じる詞でエモエモですね。

ここ、「衝動」っていうワードが入っているの、すごく嬉しいんだよなあ。

 

あおしゃべりでも、「私からは出ない歌詞がいっぱい散りばめられているんですが、ひとつ、『瞬間 最大限の衝動に〜』のサビの頭の歌詞とかは、Skyreachのようなロックな曲であり、でも、10周年イヤーのスタートを飾るシングルっていうことで、10周年の円熟みを増したような感じでお願いしますという無茶振りをしたんですけれど、「衝動」っていうワードがサビの頭に入っていて。『走る衝動に〜』っていうSkyreachと通ずる部分があったりして、ここはお気に入りだったりします」

 

とお話しされていましたね。

 

 

「Skyreach」のサビと似たような描写の歌詞だと思うんですけれど、この「衝天」のサビは「Skyreach」とはまた違った強さを感じるんですよね。

 

「Skyreach」のタワレコリリイベで、「Skyreachは力強い楽曲だけれど、最初から力強いのではなくて、弱いから進んでいく。そういう力強さ。」とお話しされていたのを思い出していて。

 

「Skyreach」は極端に言えばキリッと険しい表情というか。

 

以前とあるインタビューで、

「“Skyreach”の主人公はたぶん、そんなにポジティヴではないと思うんですよ。常に不安みたいなものを抱えているんだけど、自分の弱いところをちゃんと受け止めていて、何とか前に進もうとしているというか。」

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/3098

 

と雨宮さんがお話しされていたんだけれど、そういう険しさ。

 

弱さも受け止めながら鋭く理想に向かって手を伸ばしている、そういう険しさを、当時の雨宮さんだからこそというのもあるんだけれど、あの頃の「Skyreach」には感じていて。

 

そう、だからこそ、"Various SKY" 大阪初日1曲目の思わずこぼれちゃってた笑顔がすごく、すごく嬉しかったんだよね。

 

そこから本当に雨宮さん自身がいろんな挑戦を経てきているのを受け取らせてもらってきて、いろんな空を経て、いろんな時間を一緒に過ごさせてもらって、辿り着いた「衝天」。

 

その過程で確かに雨宮さんは「強さ」というものを手に入れていったように、「意志」をより磨き研ぎ澄ませていったように過去を懐かしむことができて。

 

それが「衝天」のサビに感じた強さなのかなあって。

「Skyreach」とはまた異なる強さ、10年藻掻いて積み重ねてきた円熟みを感じられて、このサビの歌唱、すごく好きなんだよな。

 

あとあと。

 

サビ終わり「その深さ見上げ」って歌唱も好きなんだよなあ。

 

見上げているのが「高さ」ではなく「深さ」というのが、すごく琴線で。

憧れるだけじゃなく、実際にちゃんとそこで藻掻きその夢への道のりの深さを身をもって感じている人、戦ってる人を感じられ好き!


2A,Bも素敵な歌唱が並んでますわね...。

 

綿毛が飛んでいく先も

灰が舞い散る先も 違いはない

 

これ天啓ね...。

なるほどなあ。

 

あおしゃべりで「『綿毛が飛んでいく先も〜』のあたりに入っているピアノ、繰り返しの音が入っているんですけれど、そこのクレッシェンドがめちゃくちゃ気持ちよくて。」ってお話しされてたけれど、それめちゃくちゃ同意ですわ...!

 

隙間へと吹雪くように

自分だけを嫌ってしまう日は

君の笑顔 思い出そう

 

なんだろうなあ、こう。

辛かったり、自分のことを嫌ってしまう日はこれまでも雨宮さんと過ごしたあの一瞬一瞬を思い出すことが何度も在った歳月だったなあって。

 

若かった頃は依存するように、それこそ、その一瞬の中で確かに純度が上がった自分と、それに見合えてない自分を比べては勝手に苛まれることも多かったんだけれど。

 

でも、今はちょっと違うんだよなあって、ここの歌唱を聴きながら感じていて。

生きてるんでそりゃまだ今も自分のことを嫌ってしまうこともあるけれど、「なんでこうなっちゃうのかな」とか、もやもやとやりきれなさに身を包まれることもあるんだけれど。

 

そんな時に思い出すのは、こちらを応援してくれる雨宮さんの笑顔なんだよな。

雨宮さん、活動を重ねるにつれ「こちらを応援する言葉」の回数や強度が増していったように実感してて、すごくありがたいことだなって思ってるんですよね。

 

なんだろうな、こう。

関係性を何か明確な言葉に当てこむのって、言葉にした途端に違うものになる感覚があってあまり好みではないんだけれど、実態として「応援しあっている」感覚があって。

 

それが、すごく涙ぐましくあたたかくて、支えられてるんだよな。

だからこう、少しでも何かの力になれてたらいいな。

 

ここの君の笑顔 思い出そう」はまた後で触れるので、一旦ここらで。

 

 

2B後半もめちゃくちゃ好きなんだよな...。

 

その瞳と この瞳に

見せてみたい景色がある

遠く もっと先へ

 

なんだろうな、こう。

実際にこれまでのアーティスト活動10年に関わらず、今に至る全ての活動の中で雨宮さんが届け続けてくれた言葉をすごく優しく思い起こさせる一節だなと感じていて。

 

「味方でいてくれる人たちにもっと凄いものを届けたい」っていう言葉をある機会に直接渡してもらったことがあるんだけれど、実際に雨宮さんの頑張りってそれをすごく感じる瞬間が数多に在って。

 

その一瞬一瞬を思い出して、CD音源聴きですらもうポロポロときちゃうのに、生歌唱で届けられたらもう抑えきれないかもしれない。

ライブ中に僕を倒すんだったらたぶんここがチャンスですよ。

 

そのBメロ、サビへ場面転換していく中でのファルセット。

ここの歌唱、研ぎ澄まされた強い意志を帯びたような、透明感ある伸びがすごく好きで。

 

尊すぎて、涙チョチョぎれるハイオクです。

 

そうして場面転換した2サビの歌詞。

届け続けてくれていた雨宮さんの姿しか感じないような歌詞で、目頭を押さえながら笑っちゃった。

 

たったひとつの 言動 幻滅に

迷い込み 燻んでしまうような

(Rise and rise)

夢じゃないから

 

ひとつのことを真っ直ぐ、ずっと追究していくことは、どんな道でもやっぱりしんどくて。

自分にしかできないものや作れないものを作ろうとするとき、自分が自分で決めた方角を信じるしかなくて。

その「信じる」っていう勇気が、誰にとっても、できる限りどんな日も陰ることがありませんように。


「こいつ、この曲をいつまで語るつもりなんだ...」って思ってる?

私も思ってる。

ごめん、好きがとまらん。

 

Dメロ

 

いくつもの 未来を手放すんだろう

秒針の駆け巡る果て 誰かへと刻めるなら

誰とも 分け合えない痛みがあっても

素直なカケラだと 愛せるんだろう

 

祝福を 連れてゆこう

そのスコールの架け橋を そう

拡がる空へ

 

ここも涙とまらんくなるで...。

 

「誰とも 分け合えない痛みがあっても 素直なカケラだと 愛せるんだろう」

 

なんだろうな、こう。

んー、あまり歌詞の流れに沿ってない、自分事を話すんだけれど。

 

この歳になってようやく、自分自身の下手なところとか痛みに感じるけれどどうしようもできない部分を少しは愛せるようになってきた感覚があって。

 

 

今よりもっと未熟だった頃、誰とも分け合えない痛みにいちいち傷ついて、わざわざ傷をつけて、不透明な言葉ばかりメモをしていたことがある。

 

諦めと悲しみが交互に訪れる、潮騒が肋骨にしぶいて軋む。

どんなに抵抗しても消えてくれない感情があって、おまえの息つぎは下手だねと、誰でもない影が音のない声で話す。

夜空は透きとおって広がるのに、肺は溺れていて、星ひとつ呼吸できそうにないような、そんな時期。

 

あの時を駆け抜けてきて、今あの時の言葉のあちこちを持ち上げて光に当ててみると、なんかすごく純粋に綺麗なんだよな。

無かったことにしたくないなあっていうか。

報われるような日々を生きられてはいないけれど、ちゃんと自分に優しくなりたいなあ。

 

人には「ちゃんと自分に優しくしてくださいね」っていう割に、なかなか自分はってなると、難しいよね(笑)

 

なんの話...?

 

(take2)

話を戻してのDメロ。

 

いくつもの 未来を手放すんだろう

秒針の駆け巡る果て 誰かへと刻めるなら

誰とも 分け合えない痛みがあっても

素直なカケラだと 愛せるんだろう

 

祝福を 連れてゆこう

そのスコールの架け橋を そう

拡がる空へ

 

なんだろうな。

ここ、今感じてるものを言語化するのって難しいな...。

ツアーまでにはもうちょっと理路整然とした言語化にしておきたいなって思ってるんだけれど。

 

ここの歌詞は、こう、僕らが普段見られない雨宮さんの姿、慮ることしかできない姿が歌われているように受け取っていて。

 

「そのまま」でいられないお立場はとても大変なもので、その葛藤や苦悩を慮って言葉にすることすら憚られるものではあるのだけれど。

 

どれほどの時間や想いが費やされた結果、この人の今があるのか。

汲み取ることも慮り切ることも、少しも軽んじることのできない人生の一瞬を感じるのです。

 

アーティストデビュー当初の「需要と供給」の話とか、“Various BLUE”の頃に出たリスアニ!でのインタビューとかで話れくれた葛藤や苦悩とか。

諸々はツアーのブログで触れつつ感謝を綴りたいなあと思うので今は詳しく触れないけれど。

 

10年、「それでも」と届け続けてくれてありがとうって、思うんだよな。

これまでみたいに、ちゃんとそれらの存在を心に留めたまま、ずっと受け取り続けたいね。

 

そうやって届け続けてくれた日々をこのDメロの歌唱は優しく思い出させてくれて。

 

 ・「走る衝動に 任せて 広がる世界へ」(「Skyreach」)

・「祝福を 連れてゆこう そのスコールの架け橋を そう 拡がる空へ」(「衝天」)

 

ここにも繋がりがあるの、すごくいいよね、泣けちゃうぜ。

 

眼前に広がる未知の世界へ、意志を持って遠く霞む空に手を伸ばし踏み出した「Skyreach」。

雨宮さん自身が挑戦を重ね拡げてきた世界、これから拡がっていく世界を期待させる「衝天」。

 

この「拡がる空へ」の歌唱が、すごく好きで。

どこまでも澄み渡って青い景色が拡がっていく情景が感じられて。

ライブ、生歌唱楽しみだなあ。

 

あと、この直後間奏に入るけれど、MVだと「Skyreach」と地続きを感じられる歌唱の後に「Skyreachポーズ」とってるのエモすぎるのよ...。


おーん。

 

水たまりの空 そっと立って

何処へ飛べるかな

 

ここねぇ...。

 

鋭く理想に向け尖っていたSkyreachの頃にはなかったような柔らかな雰囲気の歌唱で。

 

笑えるようになったんだなって(笑)

 

いやあ、冗談じゃなくて。

 

なんだかすごく楽しそうに手を理想へ伸ばしている様子が感じられて、嬉しくて。

 

 

「"雨宮天"でいることを楽しく思っていてくださればいいな。そう感じてもらえる日が来たら嬉しいなあ」って。

 

プレリリイベ帰りの豪雨の駅のホームで思っていたことを憶えている。

 

憶えているし、ここらあたりって言葉にして返すのは違うと思うからお伝えするつもりは毛頭ないんだけれど、ずっと今でもその気持ちしかなくて。

 

“Various SKY”とか、節々のMCやインタビュー、いろんな関わりの中で「あ、いま雨宮天でいることを喜んでくれているな」っていう場面を見せてもらって、何度も嬉しくなってきたし、本当に年々それを感じさせてくれる雨宮天さんだなあって思うんだけれど。

 

このMV中も、「何処へ飛べるかな」の嬉しそうな笑顔に、「ああ、よかったなあ」って感じ入る部分があって。

 

辿り着いた先でもやっぱり理想に向かって手を伸ばしていて「流石だな」って感じなんだけれど(笑)

 

 

ラスサビのロングトーンも、めちゃくちゃ痺れますよね。

 

雨宮さんのロングトーン、大好きなんですよね。

揺らしやビブラートみたいに顕れる表現的なところもすごく好きだし、そこに込められた意志や想いの存在を感じられて、大好き。

 

あのロングトーンに、まさに「衝天」というタイトルに込めた勢いを、すべてをぶち壊していくような強い意志を感じられますよね。

 

ライブであのロングトーンを味わうのが、今からすごく楽しみだな...。

 

 

こういう瞬間に、これから何度も立ち会いたいし、きっとまた何度も立ち会えるんだろうなあって、甘えないようにしなくちゃだけれど、今からすごく楽しみだし、ずっとそう思ってもらえるように応援していきたいね。

 

聴けば聴くほど、「衝天」めちゃくちゃいい曲だなあ...。

こういう曲を今届けてもらえるのが、何より嬉しい。

コンテンポラリーダンスのような振り、すごく曲や歌唱にあってていいですよねぇ...。

サムネイルとかにもなっているこの引きのカット、ポスターでほしい...。

青がすごく映えてて綺麗だし、

青がすごく生えてて笑っちゃった。


02.Oh, it's so dreamy!

昨年行われた初のディナーショーで披露された「Oh, it's so dreamy!」。

 

あの突然の披露を、雨宮さんや大好きな友人たちみんながとても幸せそうに楽しんでいたディナーショーをあたたかく思い出させてくれる曲ですよね。

 

シティポップ調のイントロを聴いていると、自然と会場を包み込んだ手拍子を、「わぁ!」と嬉しそうにつられて手拍子していた雨宮さんの姿を思い出すのです。

 

 

「最近どうしてた 元気にしていたかな」という曲入り。

軽やかな歌声、メロディーも相まって、なんかすごく良いエンディング感、大団円感があって80年ぶりくらいにめっちゃニコニコしちゃうし、ディナーショーが終わって日常の忙しさに追われている時にここを聴くと、もう泣きそうになる。元気でいたいね。

 

「私は駅前のパスタがお気に入り」

「ドレスコードは海の色 塩の香り」

「広い広い空」

 

歌詞自体、こちらに向けたメッセージソングをしっかりやりつつ、ちゃんと「大磯」を連想させるフレーズが随所にあって面白いですよね。

ディナーショー会場で初めて聴いた時からめちゃくちゃ笑ってしまったんですよ。

 

「新しい場所 そこにはいつもその笑顔があって 宝物になる Oh, it’s so dreamy!」

 

雨宮さんの笑顔、大好きな友人たちの笑顔。

新しい景色にはいつもその笑顔が確かにあったよなあって。

 

本当に大事なのは「思い出(物語)」ではなくて、「思い出を共に作る相手」なんだなって僕はこの世界で学びました。

 

2Aの歌詞の「こんな今がずっと続けばいいのにな、」の後に続いた「またすぐに待ち合わせしよう」っていう歌詞だったり、「青は繋がっている」という歌詞だったり。

印象に強く残る、こちらに向けてくれている眼差しが感じられる歌詞が随所に散りばめられていて、すごく好きな曲です

 

「疲れて閉じる 瞼の裏 優しく撫でるように」

 

「贈りあった 特別抱きしめて歩いていこう その先で会おう it’s so dreamy!」

 

本当に、こう、野暮だけれど、そういう日々だったなあって思うのです。

これからもね、手を振り合って、応援し合って、そういう時間を一緒に過ごしていきたいよね。

 

「Oh, it's so dreamy!」、普段聴きしているとなんかすごく泣ける曲なんだよなあ。

 

仕事帰り、真っ暗な夜道を自転車漕ぎながら聴いてると、もうダメ。

 

すごく沁みる、いい曲だよなあ。

 

今、頑張りたいことがあって。

上半期これからしっかり準備して、ちょうどツアーの千秋楽の頃が勝負なんだけれど。

 

日々の喧騒や誰かの言動に足を取られたり、自分自身ですら自分の味方をしてくれなくなっちゃって、そこに注ぎたいエネルギーを吸い取られることもあるけれど。

 

今の自分にとって、この曲は優しく包み込んでくれる曲で、優しく手を差し伸べてくれる曲で。

すごく、あたたかくて好きな曲です。

 

まだまだ楽しいことはたくさん待ってるもんね。

ちょうどその頃までにアルバムやツアーとたくさんエネルギーをもらう機会があるから、しっかり補充させてもらって、がんばろうかね(´×`)

 

またツアーや、8月に、10周年をお祝いできることを楽しみにしています。

これからもまだまだ青を感じさせてくださいね。