2024年8月28日の日記


「悪魔召喚しようとしたら魔法陣からタモリ。なんと話しかける?」


ストックしているラジオネタを眺めてたら、2年前の11月にこんな一文が書かれていました。


かなりスランプだったみたいです。

 

みなさんは、『悪魔召喚しようとしたら魔法陣からタモリがでてきたら』なんて話しかけますか?

 

僕は、「髪切った?」です。


いいともが終わってからもう、10年が経つんですね。

怖いなあ。

 

そっか、あれも10年前の、2014年だったんですね。

 

雨宮天さん、お誕生日おめでとうございます。

 

すごい流れで言ったな。

でも、タモさんもときどきすごい流れで「ここでCMでーす」言ってたもんな。

 

学生時代、いいともは普段なかなか見る機会がなかったけれど、お盆休みとかに家で宿題とかをしながら眺めていた光景が淡く脳裏に焼き付いていて。

 

今年はお盆休み9連休だったんですが、ふと「ああ、いいともみたいなあ」なんて思っていたりしたものです。

 

そんなお盆休みは、「みんなで雨宮天さんアーティストデビュー10周年をお祝いしよう!」と作っている『雨宮天 音楽大全』の編集に追われてました。

 

いや、自分から檻に入っていって缶詰生活してただけなんですが。

 

いやあ、ね、ほんとこの本、すごいものが出来あがろうとしていますよ。

みなさんのおかげです。

 

本の中にはいろいろな特集ページがあるのですが、それらにみんなが寄せてくれた「雨宮さんへの想い」とか「雨宮さんとの思い出」を編集していると、かなり胸がじんわりとするんですよ。

 

みなさんそれぞれに、雨宮天さんとの日々を過ごされてきたんだなあって。

 

自分の中にある想いに自分ひとり向き合って、ときどきみんなで向き合って。

そうやって日々を過ごされてきたんだなあって。

 

それらは他者とは交換不可能で、似つかわしくても決して混ざり合うものでもなくて。

 

それらは本当に尊いなあって、もう何年も前から感じているんですが。

 

素敵だね、「好き」とか「応援したい」気持ちって人生だね。

 

 

とまあ、こんな感じにぽやぽやと思いつくままにブログを書くのが、ここ数年の8月28日の日課なんですが。

 

「年イチの出来事って『日課』なのかって思ってます?

 

いいんですよ、日課で。

ブログって軽トラの荷台くらい自由なもんなんで。

気張らずにいきましょう。

 

 

なんだろうな、こう。

雨宮さんとの日々を振り返っていると、どうしてもやっぱり関わり合いが増えた14年を起点に置いてしまいがちなんですが。

 

本当に、「雨宮さんとこういう形で関わり合い続けて来れたこと」がとても嬉しくて、幸せなことだったんだなあと思うんですよね。

 

僕らは普段、間接的な関わり合いしかできないわけで。

 

お互い「わからないこと」だらけで、特に雨宮さんとは、本当になんかこう、最初からみんなが探り探りでお互いがやっていたような、そんな優しい記憶があって。

 

そうやって少しずつ受け止め合いながらやってきて。

そして雨宮さんは常に、相手をちゃんと自分とは異なる「他人」であると尊重している言動が節々にしてくれてたなあと記憶していて。

 

その「他人」を尊重したまま見つめ続けるというリスペクトにも似た眼差しと。

そして、直接的に関わりすぎない関係だからこその噛み合わなさ。

 

(というよりは、お互いが言葉を受け取りつつ「それでも」「それでも」とシーソーしている関係性かな)

 

この「友人」や「親友」「家族」「恋人」のどれにもない特殊な関わり方が、すごく好きで、そうやって積み重ねてきたあの日々がとても愛おしいものです。

 

親友や恋人のような関わりをすることはなく、がむしゃらな衝突で接近することもなく。

 

距離を保ったまま、お互いに適度にじんわりと影響を与え合いながら、その少しの「遠さ」に満ち足りて安堵することができる、なにより「これ以上」を求めない、お互いに認識し合えた関係。

 

そんな幸福な関係は他にないよなあって思うんですよね。

だから僕、とても幸せなんだよね、今。

 

そんな関係を誰かと築けているのかなっていう手触りが、僕に「生きてよかったな」と思わせてくれる時があります。

 

関わる、ってすごく難しいですよね。

 

自分と他人、同じことなんて一つも考えないし、好きになるものだってバラバラで。

そういう他人を「他人」として、他人のことをわからないままで「きみも生きているんだね」って受け入れることはとても難しくて。

 

でも「関わり」とはそうやってしか作れないもので。

 

同じ景色を見たり、同じ時間を同じ密度で共有することで、絶対的に「他人」なままに、相手の「わからなさ」を尊重できるようになるのかなあって思うんですよ。

 

そして、そうやって、雨宮さんや、雨宮さんのおかげで出会えた友人たちとこれまでの時間を過ごしてきたように思えていて。

 

共通点や価値観の親和を見つけていくことなんて限界があって、わからない人のことを、わからないままで、ひたすらわかろうとし続けることこそが「関わり」なんだろうなあってのが、出会ってからいちばん得た大きな知見なのかなあと思いますし、たぶん僕が1番雨宮さんに影響されたことなのかなあ。

 

なんてことを今日は昼休みに考えていました。

 

 

 

そうだなあ。

10年前、僕も21歳。

 

雨宮さんのアーティスト活動がはじまってから、周波数の近い人たちとお会いする機会も増え、友だちもたくさん増えて。

 

そんなみんなと、今この年齢でも心地良い距離感で関われていることはすごく幸せなことだなあって思います。

 

今年はその友人に子供も生まれたり、あ、僕も職場が変わったり。

みんなそれぞれの人生を進んでいて、ライフステージはこれからも変わっていくし。

 

お互い、お互い色々人生をそれぞれに歩んでいて会う機会は確かに減っているんだけれど。

それでも時々一緒に過ごす時間の優しさとか楽しさって、他の何からも得られない喜びや楽しさがあって。

 

とても有り難いなあって感じていて。

 

ほんとうに、雨宮天さんのお陰で出会えた人たちで。

ほんとうに、ね、いろいろあったとしか言えないくらい、いろいろ楽しく時間を過ごしたり、助けてもらってきた人たちなんだよね。

 

宝物ですよ、本当に。

へへっ、内緒だぜ。

 

 

この間のツアー、Ten to Bluer Sky。

 

千秋楽あとに「みんな、自分に何かあったらここのLINEグループに連絡いくようにしておいてな。葬式行くからさ」みたいな、ジジイの会話を飲みながら、ゲラゲラ笑いながらしてましたが。

 

最高に #人生 って感じ。

 

みんな健康に、それぞれのあたたかい場所で元気に暮らしててくれ。

そしてまた来年、この日でお祭りわっしょいしましょ。

 

それでは。