十年後死んでるかもしれないしひょっとしたら科学の進歩かなんやかんやで三億年後も生きてるかもしれない。そんなわけないだろって言う人もいるけど先のことなんてわからないので考える必要がない。はず
— 小沢一敬 (@ozwspw) October 11, 2018
「先のことなんてわからないので考える必要がない。はず。」という、部分が引っかかった。
そんなわけないだろって思った。
そんなに甘くないっしょ、と。
日中の騒がしいタイムラインをかっ飛ばして目の前を通り過ぎていったら見逃していたけれど、この時間にそんなスピード違反のワゴンを見つけたら見逃せないよと思った午前3時。
そう思う根拠は自分の中でいくつかの文脈をソースにタグ付けされていて、でもしっかり冊子として綴じられて作品になっていたわけではない。まだ言葉にできていない感情。
「これはいい機会、いざ鎌倉」とその点についてのオリジナルで他人とは交換不可能な僕だけの哲学を纏めてみたい。
まあ、うち平家の末裔なんですけれど。
少し予防線上に石塁を築くと、「自分の中では受け入れられないな」と思っただけで、世の中の大半が小沢さんみたいな考えをされていることは百も承知している。
特別そこを拒絶したいわけではないし、足掻いてみようと思ったわけでもなく。
この小沢さんの考えをブリコラージュして、自分の中にの価値観を修繕してみた、的なブログ。
いつか死ぬどころか、明日には死ぬかも、次の瞬間には死ぬかもと思っている。
なんなら、あと2ヶ月もすれば私事ながら誕生日なのだけれど、そこで迎える25歳という齢は小学生の頃「とりあえずここまででは頑張ろう」と、仮想享年として考えた年齢なのです。
その割に、中身のない、誰のためにもなれない25年間だったけれど。
つまり僕の寿命はあと2ヶ月だ!(ででーん)
そうそう、『今年の誕生日運勢ランキング』なるものがある。
僕の誕生日12月7日は今年、365位中365位だ。
本当に死ぬかもしれない!ヤバイ!
まだ「これだっ!」っていう遺言書けてねえ!
んー、でも結局自分がこの世界に遺したい言葉というのに完成形はないんだろうなと思う。だから、日々、発創するしかないね。
話を戻します!座れ!(「ヤーッ!」)
「いつか死ぬんだから、今は生きることだけ考えて楽しもう」と思う方が丁寧に生きられる。」と言うけれど、そうやって自動的に明日を迎えられることができると人が思えることが小学生の頃から不思議で仕方なかった。
一方「いつか死ぬんだから、今は生きることだけ考えて楽しもう」という社会通念は真理として正論だとは僕も思う。
Today is the first day of the rest of your life.
「今日はキミの残りの人生の内で最初の1日なのだ」
という言葉がアメリカのホテルで朝起きるとドア脇に挟まれていることがあるらしい。
本当にこの言葉の通りではあると思う。
そして、ホテルを出る際にホテルマンが「Have a nice day!」と声を掛けてくれるのはそういうことなのだと思うし、そういう思想の元で生きられたらと、何度か思ったこともある。
ましてや、人生のある場面場面では
「Today is the first day of the rest of my life.」
と自分に言い聞かせたこともあったはずだし、僕自身の哲学の対極としてこの考えがあったけれど、僕の人生は「絶対にそれを受け入れてこなかった」というお話でもない。
例えば、「これが自分の踊り方」と思っていても、流れてきた音楽がまた自分にとって新鮮な気持ちにさせてくれるものであったらまた違った踊りをしていることもあって、「それはそれこれはこれ」、というお話。
ニーチェが「考えるな、踊れ」と言っている。
正解も不正解もなく、人生の目的など分かるはずもなくて自分の行為がなんのためになるのか、そんなことは誰も知る由もなく。
ただ踊れ。その中に没入するほどに。
小沢さんの思想が依拠しているのは其処だと思うし、そうやって踊る時間の中にこそ、正解も不正解もなく、その人だけの真実が在るんじゃないかな。
いつか死ぬどころか、明日には死ぬかも、次の瞬間には死ぬかもと思っている。
人並みに「死にたい」と思っていた時期もあったけれど死のうとしたことは…あった気がしなくもないけれど今も生きてるし、特別幼かった頃から死別と身近だった訳ではない。
でも、僕にとって「死」はなんだかキラキラとしていた。
「死ぬこと」を考えたとき、その底で初めて命を与えられた感情があった。
社会においてそれは危険思想だし、こんなこと小学生の口から出たら母ちゃんは絶対泣くだろうし泣かせたくなかったし、何より人に解ってもらえんだろうと話すことはなかった。
でも、それはずっと僕の中に「それ」は在って、今でも「何か」を捉えてその「何か」から「意味」を抽出する上で重要なフィルターになっていたりもする。
昔から「死」は何故だか僕の思考的には身近だった。
「いけないこと」だと学校教育で押さえ込まれていたから、そんな危険思想を持っているのはコンプレックスではあったのだけれど、この思考は僕にとっては他人とは交換不可能でオリジナルな武器で、最も長年連れ添った感覚だから、とても一緒に居て心地がいい。
「これから生きていくこと」を学んでいく学校教育の中で、僕はいつも「死ぬこと」を考えていた。
あの当時は誤解を解く言葉が分からず黙っていたが、今は多少ブリコラージュできているので言葉を使って誤解を解く。
それは「行為として死ぬこと」「人生を終わらせること」「踊るのをやめる」ことではなく、「どう終わらせるか」ということだった。
「死ぬことを考える」ことで生まれる「どう生きていくか」。
小沢さんの考えはニーチェに近いと思う。
:「人間は、本当は、いつ、突然死に襲われるかわからない。ところが、それなのに、人は、普段は、死は自分とは関係ないかのように振舞っているわけだけれども、こういうのん気さは、考えてみると不可解である。しかしもっとよく考えてみると、これでいいんだ。なぜだ。もし人間が、死というものが現実のものとなるかわからないが、いずれは必ず来るという事実を、もしはっきり自覚するということになれば、どうなってしまうのだ。人は、不安のあまり、何一つ手につかないような状態になるであろう。人が自分の仕事に精を出していられるのは、自分の死というものを忘れていられるからなのだ。自分の死を忘れることこそが、充実した生を送ることの手段なのだ」。
「人間が死への畏怖を唯一乗り越えられる方法は、自分の死というものを忘れることなのだ」と、ニーチェは考えている。
死に対する理解を回避すること。
この「のん気さ」が人間が生きていくための条件であり、「生きる」という行為なのだ、と。
例えば、だ。
ライブであったり、自分がすごく好きな人と過ごしている中で、僕らは日常生活や不安であったり葛藤、「死にたい」という気持ちすら忘れて、ただ踊っている。
好きな人の笑顔に嬉しくなりながら「死にたい」と思うことはないでしょ。
頻繁に尊みを感じて死んでいるけれど、ナハナハ。
ただ、僕自身、上述したニーチェ思考には波長が合わない。
一方で、その時間に没入したように踊ることでいつも救われているし、そういう存在をとてもありがたく思っている。
いつもありがとうございます。
ただ、日常生活においてはやっぱり僕はこのニーチェ型の思考とはやはり波長が合わない。
:人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない。
と、ハイデガーは遺している。
ハイデガーは先のニーチェ思考とは180度反対側にいると思ってもらえれば、理解がしやすいと思う。
ハイデガーによると残念なことに、僕らは常に自分の「存在」を考えて生きているわけではない。
僕らは、仕事やその他の関心事に気を取られ、「自分がなぜ存在するのか」を真剣には考えていない。
僕らは自分が存在することを当然のこととし、その日その日を、他者や物との関わりの中で生きている。
ニーチェの思考を借りれば、「何もかも忘却して、ただ踊るように生きている」。
ハイデガーは、このような人間の日常的な在り方を「非本来的な在り方」と呼び、人は自分の存在の意味を問うことなく「日常性」の中に埋没して生きているとしている。
人間は、普段この「日常性」の中で、他人と同じように行動し他人と同じように物事を考える「個性のない平均的な生き方」をしている。
「いつか死ぬんだから、今は生きることだけ考えて楽しもう」と言うけれど、そうやって自動的に明日を迎えられることができると人が思えることが小学生の頃から不思議で仕方なかった。
その本質がこの点において、だった。
なぜ、「自分の存在」について考えようとしないんだろうと。
思い返せば物心ついた時からずっと「自分の存在」について考えることであったり物事を通して「自分の存在」を考えることは、嬉しいことをされて『ありがとう』と思うくらいと同等に、僕にとっては深く無意識の内に埋め込まれた思考回路だった。
だからこそ、周りとのギャップが不思議で仕方なかったし、今考えればその点においてしんどかったし、そしてだからこそ今の僕があるんだと思う。
ハイデガーの名著、20世紀で最も偉大な哲学書と言われている『存在と時間』。
んー、偉大とは思うけれど最もとは思わないなあ。最も偉大な哲学書って肩書きは死ぬとき自分の遺言につけたい。
だからもっと自分だけの哲学を考えて考えてブリコラージュしていきたい。
うわ、めっちゃかっこいいこと言った。
話が逸れるけれど、自分だけの哲学なんて誰しも持っている。
当然相手にもその人が生きてきた時間や環境の中で形成されてきた哲学があって、その点において自分の哲学が相手に伝わって理解してもらうことは100%ないのだ。
理解されることなんてないし、理解するなんて烏滸がましい。
理解するは「understand」だけれど、僕が育てた木の下に入れるのは僕だけなのだ。
「入ってくるんじゃないよ!」と思うし、「自分の木を育てなさいよ」と思う。
とても立派な木を見ると、自分もそんな風に枝葉を広げ不意の風に葉を揺らしたいと思う。
それが「存在を考える」ということじゃないかな。
相手を理解するうえで、「その人の思考の下にちゃんと立って考えること」はもちろん大事な事だと思う。
うーん。
でも相手を理解したいとは思わないんだよな。
理解しきれるはずがない、という感覚が近いのかもしれないけれど。
理解されようとすると、必ずそこで相手との間に誤差/ノイズが生じる。
ぼくはそれがたまらなくしんどい。
その人が育てた木の下に立とうとすると、必然的にその人のスペースは逆の端へ寄るわけで、そのせいで雨が頬を流れることもあるかもしれない。
だから理解したいとは思わないし、理解してほしいなんて思わないのだよな。
ただ単に、そこに居てくれて、そこに在ることができたらいいなって思う。
理解するというよりは、全部を肯定したい。
綺麗な部分も、社会に対して冷淡になった瞬間も。
何かをバカにするような悪い感情も、自己嫌悪も不謹慎な思考も、全部。
理解するってことは、全部を赦して肯定することなんじゃなかろうか。
街路樹みたいに、そういう風に綺麗に並べていたらいいのになって思う。
葬儀が終わったらその木の下に埋めてくれ。
理想論。
にゃーん。
理解するより、される側の方が大変だよなあ。
でも、自分の木が小さい木だったら相手は雨に濡れちゃうから、ちゃんと太陽目指して枝を伸ばし葉を茂らせ、ときに実ったりんごをおやつに出してあげることが、理解される・・・「理解してくれ」と思う側には必要なことなんじゃないかな。
僕は伝わる言葉より自分の言葉を優先したい人だから、冬の街路樹みたいに葉は枯れ落ちていて、雨宿りしようとする人は雨に濡れるだけなんだけれど(笑)
りんごうめえよな!食ったけれど、イヴがいねえ!咳をしてもひとり。南無アダム陀仏。
ハイデガーの名著、20世紀で最も偉大な哲学書と言われている『存在と時間』。
存在にも、時間にも「終わり」がある。
ノルウェーの高校の哲学教師ヨースタインが書いた『ソフィーの世界』の冒頭部は、次のようなことが書かれている:
ソフィーは、ひとしきり、私はいる、と考えた。すると、いつまでもいるわけじゃないと考えないわけにはいかなかった。今、私はこの世界にいる。でも、いつかある日、私は消えてしまう。死後の生はあるのだろうか? この問いも、猫にはさっぱりわからない。ついこの間、祖母が亡くなった。それから半年以上、ソフィーは毎日のように、祖母のいない寂しさを噛みしめたものだった。生命に終わりがあるなんて、そんなのあんまりだわ!
ソフィーは砂利道に立ったまま考え込んだ。私はいつまでも生きているわけではない、ということを忘れようとして、一心に、私は生きているとだけ考えようとした。けれどもまるでだめだった。私は生きていると考えれば考えるほど、この生命は何時かは終わるという考えもすぐに浮かんでくる。その反対でも同じだった。私はある日すっかり消えてしまう、と強く実感して初めて、生命は限りなく尊いという思いも込み上げてくる。(中略)
人は、いつかは必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない、とソフィーは考えた。そして生の素晴らしさを知らなければ、死ななければならないということをじっくりと考えることもできないと。ソフィーは、祖母が自分の病気を告げられた日に、似たようなことを言っていたのを思い出した。「人生はなんて豊かなんだろう。今ようやくそれがわかった」。たいていの人が、生きることの素晴らしさに気づくのが病気になってからだなんて、悲しい。みんなが謎の手紙を郵便箱に見つければいいのに。
◆ポイント
終わりがある「存在」であるから、その終わりである「死」を自覚することで僕らは「生としての存在」を実感できる。
ハイデガーによれば、この死の自覚を通して、人間は非本来的な生き方から離れ、本来的な生き方をするようになる、ということだ。
多分僕の思考は、ここ4年を迎えるまではかなりハイデガー寄りだった。
そしてここ4年は、日常を忘れて踊らせてくれる人たちと出会えたことで、ニーチェ的思考を強く実感する時間も多かった。ありがたいね、この存在。
でも、ニーチェになるわけにはいかない。
踊らされるわけにはいかない。
そのさそう踊りにはのらんですよ。
だからこそ、自分の存在を考えたときにこの両極にある二人の思考を寄せ集めて抜け落ちた部分や古くなった部分を修繕-ブリコラージュしていく。
…Hello 世界。ブリコラージュって概念、伝わってる?
…ええい、ブリコラージュの説明が面倒だ!!でも明日死んだら誰にも説明できないし、僕の哲学を理解してもらう上では必要な鍵なのでunderstandしたいと思った人はこちらの記事を参照してくれ!そしてあなたの言葉をブリコラージュしてくれ!
僕はハイデガーだった。(唐突)
でも、この4年間は月を見ればニーチェになった。(???)
月はいつも綺麗です。
括弧書きのもうひとりの僕(cv.風間俊介)がうるさいけれど、とにかくだ。自分の存在を考えるとき自分の過去の存在、もらったモノを無駄にしないためにブリコラージュしたいなと思った。
そして、それが積み重なって僕自身の哲学になっていくんだと思う。
んー、でもここまで書いてきてなんだけれど、ライブとかでも僕は完全に「日常」を忘れてニーチェ的に舞踏したことって1回もなくて。
そんな時間や空間の中でもどこかに自分の存在について考える思考的余地が残ってしまっているのだよな。
それは悪いことなのかもしれないけれど、「僕はそんな自分が好きさ」とイキイキと海藻サラダを出してやるのだ。
まだまだいろんな所にソース付けされているから全部をちゃんと書いて書物にすることはできないけれど、没入した時間の中でただ踊った瞬間を過ごしながら、日常ではその瞬間を忘れることなく本来的な在り方としての自分の在り方をいつも考えていたいな。
変な言い回しだな。
つまり、纏めます。
◆おさらい
終わりがある「存在」であるから、その終わりである「死」を自覚することで僕らは「生としての存在」を実感できる。
「生きることを考えること」が「死ぬことを考えること」であったように。
シュタイナーが遠い空の青を見ることでその先の宇宙の暗闇を見ていたように。
何かを見たり考えたりすることは、必然的にその反対にあることを考えるということでもあるんじゃないかな、ということ。
生きることは死を考えないと具体性を失うことはし、死ぬことは生を考えないと概念の域を出ない。
ネガティブとポジティブみたいに、生死は繋がり合っている。
そう、製糸でね。
待って、静止はやめて、辛い。ごめん。
ちゃんと制止するから、今のは許して。
はい、ここから再試。
『麗子微笑』で著名な岸田劉生は、実はとても優秀な文筆家でもあって、「孤独」について次の様に書いています。
:自分はこの自分の孤独を感ずる事の外に、自分の生存を感ずる事のできないものである。そうして自分の生存と意志に権威と祝福とを感ずるのである。人間は孤独を掴んでからでなければ真の生活を創め得ない事を自分は真に感ずるものである。
これなんですよ、僕がずっとあの頃、叫びたかったこと。主張したかったこと。
いま後ろから岡田くんと森田くんがヘッドセットとって僕の元へ駆け寄ってきてるから!
カーペンターズ流れてるから!
やっと言えたよ!
再始。
「孤独」を感じたときに見えてくる景色、見えてくる言葉、見えてくる自分の在り方があって、だから僕は一番底まで落ちきることが好きなんですよね。
だってスプリングボード(踏切版ね)は落ちている途中にあるはずもなくて、一番底で地に足つけて待ち構えているんですもの。
まあ、そこに着地できずしばらく井戸底で眠って、「そろそろ抜け出たいな」ってタイミングで何度も助走ジャンプをしてようやく最大のジャンプで抜け出すんですけれど、いつも。
真の生活を創めるには、やっぱり底に在るものを掴んでからじゃないと創め得ないんじゃないかなと僕は思うのです。
そんな僕自身の哲学。
≒僕の周波数、なんですかね。
僕この言葉を使いがちで、最近「周波数」って文字に預ける自分の哲学をとぼとぼと考え直しているんですけれど、わかんなくなってきた。いい傾向だ。修繕のし甲斐があるってもんです。
んー、なんじゃろうな、こう、
僕は哲学科とかそういう怖そうなところ出身でもないですし真面目に齧ったことないですけれど、哲学って人それぞれオリジナルでいいんじゃないでしょうか。
それを伝えよう伝えようと、伝われ伝われと思うから苦しくなって戦争とかになったり頭を銃で撃ち抜くんじゃないでしょうか。
世の中は無意味で溢れているから、自分が考えるべき対象(≒周波数があったモノ)を選び、自分の経験から意識的に『意味』を抽出すること。
それが岸田劉生が「人間は孤独を掴んでからでなければ真の生活を創め得ない」と言った意味ではなかろうか。
1人1人頭の中に頭蓋骨サイズの自由な王国があって、その王国の憲法、自分の哲学がまず優先されたらいいのだ。
誰かの救いになる必要なんてない。
ただ君が、君で在りますように。
唐突に伝わらなくていいことを書き出す悪い手癖。
午前6時17分。
鍋をバターが滑っていくみたいに、朝に流れていきましょう。
朝は明日でもなく今日でもなく、昨日だと思う。
(「ほら、帰るよ!」とママに手を引かれていきながら)
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