8/28日青、時々雨


 

つらつらと綴るその前に1点だけお願いを。

 

最近知人から「雨宮天さんを好きになったキッカケは?」と聞かれる事がありました。

その時は答える事が出来ませんでした。ずっと考えて考えて、答えを用意しました。

 

キッカケは分かりません。

 

以前こちらの記事で書かせてもらったけれど、事物や人物との出会いってラジオと似た様なモノだと思うのです。

偶然雨宮天さんの周波数に僕が合った、そしてチャンネルが開いた、その事実だけです。

 

地域によって周波数が合わない様に、その番組を聴こうと選局ダイヤルを回す手を止める事、その「物/者」に惹かれる事って人それぞれだと思うのです。

 

そこには自分が好きなモノとの間にチャンネルが開かない人ももちろんいる訳で。

 

 

当然チャンネルが開いてない人に自分が好きな番組にノイズ起こされると腹は立つし、自分が好きじゃなくても誰かにとってのノイズになるのはいけないことだとも思います。

 

自分の好きな人やコンテンツそのもののノイズに自分がなるのはもってのほかですよね。

 

 

だから僕がこれから語る事は僕の周波数であり、雨宮天さんという人の周波数ではありません。

僕が見る「側面的」なモノであり、「雨宮天さん=こんな人!」ではありません。

 

 

 

2014年の大晦日にご本人がブログ

 

私を応援していたことで、もしかすると辛い思いをされたりしたこともあったかもしれませんが、それでも応援して下さってありがとうございました。
よく人から言われる言葉から考えると、皆さんにとっても、私の考えていることや思いが分かり難い時もあったのではないかなと思います。
それでも私で居させて下さりありがとうございます。
『こうだ!』って決めつけないで、『こういうことかな?』とか、『分からない』って思って下さりありがとうございます。
と仰っている様に決めつけはしたくないなって。

多分今日という日に想いを馳せている人は大勢居らして、いろんな方がブログやTwitterで各々の想いを語っていらっしゃると思います。

 

どうか、僕の記事だけで『こんな人!』と決めつけないでいてくださると幸いです。

 

 

勝手に色々語ってるけれど、他人に勝手に語られたり手紙を押し付けられる事って凄く怖いことだと思うのです。

 

こうやって語ってる事も、ノイズに感じられるかもしれない。

 

でも、そうでしか言葉って伝えられなくて。

性格を180度ガラッと変えられる程のパワーを頂いて、どうにか返していきたいなって思っているのですがそういう形しか現状考えられなくて。

 

今回の記事はそんな想いで、「こんな番組があるよ」って紹介程度の気持ちで書いてみたいと思います(ほぼ自己満足なんだけれど)。

 

僕にとって「今はこういう人なのかなぁ」という論調で書いていこうかと思います。

 

 

言葉にするのって苦手で色々比喩が多くて解り辛いと思いますが、最後まで読んで頂けると幸いです。

 

「こんな所が好き!」とかあんまり語彙がないし、どう練っても何だか薄っぺらいなぁって思っちゃうんですよね。

 

多分長々書いてるんだろうけれど、具体的に「ここが好き!」とは書けてないんじゃないかなぁ。

 

好きです、声も歌も演技も人間味も。

 

  

興味を持ってくださった方は番組、聴いてみてください。チャンネルが開けば1人のファンとして嬉しいです


『青』と言えば、みなさんは誰を思い浮かべるでしょうか。
「青の芸術家」イヴ・クラインや「青の時代」のピカソ、「青猫」の萩原朔太郎、それともブルーマンでしょうか。


今日8月28日は、青が大好きでならない雨宮天さんの23歳のお誕生日です。

僕は直接的な感情の吐露は不得手かなと思うので、『青』という言葉を通して雨宮天さんという色を見ていきたいと思います。


先程の質問、「人物」となると少し難しいので質問を変えてみましょう。

『青』と言えば、みなさんは何を身近に思い浮かべますか。

空や海でしょうか。

 

朝顔のプランターやお気に入りの靴でしょうか。

 

子供の時大切にしていたシールドライガーや少年野球で着ていた全身青のユニホーム、体育祭で巻き合いっこした青色のハチマキ。

きっとそれは人それぞれで、こう見ると僕らは空や海という『青』に包まれて『青』に囲まれて生きていますよね。まるでそれが自然であるかの様に。



でも、『青』という物質は自然界にはほぼ存在していないものなんですよね。

 


朝顔など青い花は実は濃い紫が青に見えるだけだそうで、空や海の青は透明な層を重ねると青く見えるというのは理科で習いましたよね。完全に透明なガラスだって10枚も重ねると青く見えるようになるそうです。

面白くなって色々読み漁ったんですが、この『青』という色の名前は、他の色よりもずっとあとに生まれたという説があるそうです。

古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』の中で著者とされるホメロスは、海を『青』ではなく「深いワイン色(the wine-dark sea)」と表現しています。
ちなみに、1858年に後にイギリスの大臣となるウイリアム・グラッドストーンが作中に出てくる色を数えたところ、『青』が1度も出てこなかったとか。黒は200回近く、白は約100回、赤は15回程度、黄と緑は10回足らずなのに対して。


同じようにヘブライ語、中国語、日本語などの古い書物にも『青』という言葉が見当たらないそうなんですよね。

唯一見られるのが染料の技術を持っていた古代エジプトだけだそうです。

纏めると、色の発明年表としては古い順に「暗い/明るい」状態を表現した『黒と白』、次が『赤』、それから『黄』と『緑』、そして最後にやっとエジプト人によって『青』なんだとか。

 

 

『青』という色があらゆる文明や分野において、最後に発明されてるのは面白いと思うんですよ。



確かに薔薇やLEDに2ヶ月前くらいに発表された青ワインと、いつも発明で話題になるのは『青』だったりしますよね。


それでは「日本史における『青』の最古は?」とパッと思い浮かんだのは、色で位を分類した冠位十二階ですが、あの青は藍染であって、和色大辞典によると『青』と『藍色系の色』はしっかり分けられているんですよね。だから、あんまり青っぽくないなぁって。

 

 

今僕が想像している『青』はウルトラマリンやラピスラズリ、それこそイヴ・クラインが作り出したような『青』なんですけれどそういった色が従来の藍染の様な『青』にとって代わるってのはやっぱり調べてみると他の色よりは歴史が浅いんですよね。


 
そういう『青色』が最初に出てくるのは日本ではいつなんだろうと調べると、『続日本記』の記述
に「今青(群青)」という言葉が出てくるのがだいたい文武天皇期だそうで。顔料である蘭銅鉱(azrite)が献上されたとの記述

 

蘭銅鉱、画像検索すると綺麗ですね。

 

でも、なかなか精製が大変で絵の具の材料として蘭銅鉱は60g米1俵程の取引だったとか。

 

思えば冠位十二階でも青系統の色は天皇(=神)の下、1番近くに置かれていたり。昔から日本でも『青』は特別な色だったんですね。

 

 

僕は何故雨宮天さんの誕生日に寄せて冠位十二階に想いを馳せているのだろう。

 

 

『青』という言葉の語源についても調べてみたので以下に纏めてみますね。

 

 

【大和語のアオ】

「アフ=会う・合う」、もしくはその連用形「アヒ=間(隣り合う)」の意

 

【アイヌ語のアオ】

黒と白の範囲の中間色を意味する「間(アヒ)」からきているとされている。

 

【琉球語のアオ】

アイヌ語と同じ派生とされている。

 

 

ここまで考えると、『青』って色であって色ではない色であって、非物質的で、特別な色に思えてきませんか。

 

世界的にも『BLUE』ってそういう色であって、それに日本人が『青』という字をあてっがったのも、なんかこう、上手く言えないけれど、良いですね。

 

そして、そんな『青』と雨宮天さん。

 

上手く言えないけれど、凄くぴったしだと思うのです。


さて、空や海、地球の成り立ち的に人類と最も深く長く関わっている色って『青』だと断言しても過言ではないですよね。

 

でも、青を構成する要素は実は少なくて。

絵の具として、形として、その手に収めることはなかなか難しかった訳で。

 

現在TrySailさん公式で雨宮天さんの1stアルバム“Various BLUE”のリリースキャンペーンとしてフォトコンテストが行われていますが、お題が『青』って事で案外苦労している人も多いのではないでしょうか。

 

自然の中に限ると青って、凄く難しくないですか。

 

 

 

そういった自然の中の、恒常的である『青』をなかなか得ることは出来ないからこそ、古代から中世初期の欧米人は『青』を畏れの象徴としたり、イヴ・クラインをはじめ多くの芸術家や発明家・多くの人達が依然として『青』に惹かれるのかな。

 

『青』は空にせよ海にせよ、常に背景にあって手に取ることができない色な訳で。まさに、いろいろな事を想起させる色ですよね。

 

青って、いいなぁ。

 


青って、なんなんだろう。

 

どうしよう。

 

どのタイミングで雨宮天さんの話にもっていこう。

 


 
話を戻し、もう1つ。
東京大学名誉教授の小林康夫さんが以下の様な事を仰っています。

「はじめて宇宙空間へ到達したユーリ・ガガーリンが「地球は青かった」という言葉を残していますが、空は青いものだとずっと思っていたのに、じつは宇宙空間は真っ暗で、そこに我々が住むこの地球が青く輝いていた。それまでは手が届かないものの象徴だった青の中に、僕らはすっぽり包まれて生きていたという、「青の革命」が起こったわけです。」


唐突ですが、僕にとって雨宮天さんの存在ってこの文に集約されていると思うのです(前置き長すぎ)。



初め雨宮天さんの青さに触れた時、凄く親近感を覚えました。

 

ネガティブでその性格に至るまでの経緯、どこか達観した物事の捉え方や感情、青も好きで、天邪鬼で少し拗ね気味で、同い歳で実は凄くはっちゃけてて。その青さが凄く似てるなって思ったんです。

 

そしてかわいい、綺麗。


素直に「こんな人いるんだ!」って凄く嬉しかったなぁ。

初めはそんな気持ちで見ていました。少なくとも2013から14年中は。

 

でも、その青さは身近に在る様で実は遠くに在って。

そこで分岐になってくるのはやっぱり14年の大晦日の記事

 

 

この記事の中で雨宮天さんは

 

私は私のままでいながら、ネガティブがくれた短所の自覚を味方に、ちゃんと変わっていけるように頑張ります。

本当にありがとうございました。

 

そして、よろしければ、来年もよろしくお願いしますね(*´-`)


と仰っていて。

その言葉通り年が明けてから彼女の有言実行っぷりには正直戸惑いました、勝手に。

 

 

変わられたなと強く感じたのは「ソライロのリリースイベント」でした。こちらのイベントではこの様な発言をされていましたね。

その瞬間頭にいろんな映像が流れてきて。
ソロイベントでは「上手くいくか不安で。」と自作の台本を用意して、曲前に「お足元が悪い中・・・・」と最後の挨拶しちゃったり終始あわあわしていて、「歌うのはみんなの責任ですからね!」とみんなで深呼吸したり。
ラジオや他のイベント、色んな所でネガティブだった彼女が、今はこんなに楽しそうにお仕事をしているんだぞという事を凄く楽しそうに発信したあの時、何とも言えない嬉しさと同時にどこか僕の中で『青』はより手が届かないものの象徴になりました、勝手に。
 
雨宮天さんの自分の青さ残しつつ変わっていかれてる姿に凄く感動してるくせに刺激を受けるってよりは、自分はどうなのかってよく苛まれてました、勝手だなぁ本当に。
 
でも、先日の伝声管で僕は初めて宇宙空間に行くことができました。そこから見た自分が居た世界はとても綺麗な青で。
今年のGWの記事で雨宮天さんはこんな事を仰っていました。

自分は自分だし自分のこと嫌いな時があっても改善を重ねながら自分として生きていたいし、誰かの自分への理想より自分の自分への理想を叶えたい。

どちらも程好く、なんて器用に出来るタイプでもないし、だからただ自分として生きていますが、誰かの理想を叶えていた方が人から好かれるから、つらい時もあるし、ごめんなさいって思う時もありますよね~。

 

未だに何が正解か分からないから成人しても全然大人になれてる気がしませんが、こんなんでも周りに素敵な人達が居てくれると、これも不正解ではないのかなーなんて。

甘えないようにしなくちゃ、ではありますが。

人の理想は叶えられなくとも期待に応えられるだけの人にはなりたいです。

もっと頑張らなくちゃですね、ごはんたべて!


 

また少し自分の話を。

自分が嫌いな時があっても中々改善しようと思えなくて、誰かの理想を叶えていた方が人から好かれるからって自分が分からなくなって。

そんな僕に雨宮天さんは「素直に生きろー!」って肯定してくれて(する機会をくれて)。

 

 

僕に綺麗な『青』を見せてくださいました。

 

チャンネルが開いてから気づいたら苛まれるくらいに雨宮天さんの事考えていて。勝手に。

 

でも、手が届かないものの象徴だった青の中に、僕はすっぽり包まれて生きていたという、「青の革命」が起こっていた事をようやく実感した訳です。

自分を肯定させてくれる存在が居て、雨宮天さんが居たからこそ縁を繋がせてもらった素敵な人達が居て。

 

今ふと思い出したのが、僕の好きな漫画『タビと道づれ』に出てくる「どうしていつも僕のいない世界はこんなにもキレイなんだろう」という台詞。

『青』に憧れて、日常や周囲とのギャップに苛まれて毎日そんな気持ちで世界に居場所なんてなかったけれど、雨宮天さんのおかげで、居たい場が出来て、いつの間にか居ていい場所、この世界が居場所なんだなって思うことが出来ました。

 

「僕の居る世界はこんなに綺麗な青なんだぞ」って自慢してやりたい気持ちで実は今回書いてるし、レポもそんな気持ちで書いています。

 

 

自分がこんなにポジティヴな人間に変わるなんて人生設計では考えてもなかったんですけれどね!

 

伝声管のレポを書いた際に「変われる人が当たるんだなぁ」って言葉頂いたんですけれど、アレ程のあたたかい空間に触れてエールを貰えれば誰だって変われると思います。偶然僕だっただけで。

 

 

だから、またああいう機会があって、周りの素敵な人達がそれこそ人生変わる様な経験出来たらいいなぁって。

 

 

 

未だに何が正解か分からないから成人しても全然大人になれてる気がしませんが、こんなんでも周りに素敵な人達が居てくれると、これも不正解ではないのかなーなんて。

甘えないようにしなくちゃ、ではありますが。

自分の理想や人の理想は叶えられなくとも期待に応えられるだけの人にはなりたいです。

もっと頑張らなくちゃですね。



なんか話が逸れたので青の話に戻します。

以前、雑誌編集者の西田善太さんがこんな事仰ってました。

 

 

コピーライターをしていた頃から、青い字で企画を立てると、考えが広がっていく気がします。黒で書くとそれは“書類”になるけれど、青いペンで書くと言葉がまだ固まっていない感じがする。青い字で書くときの未解決感、これから広がっていく感じが好きなんです

 

 

雨宮天さんの『青さ』って、そういう青も内包してると思うんですよね。

 

どこまで広がっていくんだろう、笑顔のち涙、きっと何度も揺らめきながらどこまでも広がっていくのかなって。

実際、『青色』というのはまだ色々な分野で未解決、そこに夢である訳で。

 

 

これからの未来、どんな『青を探す旅』になるんでしょうね。

そう言えば、未来っていつも『青写真』から始まりますよね。

 

『青写真』って言葉、ここまで踏まえて、雨宮天さんを通して触れるとより素敵な言葉に感じるなぁ。

 

どんな『青写真』を、これから見せてくれるんだろうなぁ。

 

うん、『夢空』だなぁ。

青い色を心に思い浮かべるだけで、いくらでも言葉が湧いてきますね。赤や黄色、白や黒など、他の色では、こうはいかない。

 

雨宮天さんも自分にとってそういう人だなぁって思ったんですよね。

 

毎月の様に会っている人とでさへ酒の力を借りても「そうですね。」しか言えない僕が、青さに触れると、ここまで心の内叫べて。

なかなか頭の中のモヤモヤを言葉に出来なくても、ブログ記事には形にしたかった色がそこには塗ってあって、そこに持ってる絵の具足すことで自分の気持ちをなんとか色に出来て。

 

 

(°Q`)な記事も大好きだしどれにも勝手な思い入れはあるけれど、そういう記事が好きだしこれからどう広がっていくんだろうって感じが好きですね。


ここまで色々なあ・・・様々な青(ドヤァ)を通して自分の思っている事を稚拙な文章で綴ってきたけれど、なんかこう全然纏めきれてないけれど、雨宮天さんって本当に青いなぁって。

 

 

 

だからこそ、惹かれるし、「この人の様になりたい」って思えるし、言葉に変え難い色なんだなと。


今月の7日、秩父で行われた‘心が叫びたがってるんだ。スペシャルイベント’の合唱コーナーで『心が叫びだす』を歌っている最中に、歌詞が雨宮天さんに伝えたい事まんまだと感じました。

順は坂上拓実というヒーローに出逢えた事で言葉や気持ちを自分の中に宿すことが出来た様に、

僕も雨宮天さんというヒーローに出逢えた事で言葉や気持ちを、まだうまく伝えられないけれど宿す事が出来ました。

 

基本自分の事が嫌いで生きてきた自分だけれど、そういった気持ちって嘘じゃなくて、美しいなって素直に思えて。

 

最近そういった自分が割とだけれど好きです。

 

そして、『青』という言葉/人を通して見る世界は本当に見たことないくらい美しくて。

おかげで、その世界にくらす素敵な人達とも出逢えて毎日が楽しいです。

 

そんな世界を上から優しく包んでくれているのは、そらの『青』なんですよね。

 

快晴だったり時々雨も降ったり、曇りの日も。

 

 

ここまで雨宮天さんの事を「変わった」と述べてきましたが、そら模様と同じ様にちゃんとその変化の奥には『青』が残っていると思うんですよね。

7月16日のお渡し会、伝声管のブログ記事

  

「変わったな」と思う一方で、彼女のその様な不安だったり、こだわりであったり、希望であったりは内在されていて。

 

この言葉をつい先月に仰っている訳で。今でもそうなのだろうと思うのです。

 

実際にデビュー以前の色んなイベントや初めてのプレリリースイベントにその後のソロイベント、大きなステージの中でその言葉通りに見受けられて。

 

その不安は計り知れないものだったと思うんですよね。

だからこそ、ソロイベントでのこちらを凄く気遣ってくれる姿が、その優しい空間がとても心地よくて。

 

別にユニットがどうこう言うつもりはないけれど、TrySailの3人でのイベントとはまた違った空間がそこには在って。

 

人が自分を受け入れてくれているという前提が自分の中に無いので人と話すのが怖いのです。

 

僕自身もそういった前提が自分の中にない人間だったりするのですが、雨宮天さんのイベントって、なんか、こう「受け入れてくれている」って凄く感じるんですよね。凄く好きなんですよ。

 

14年大晦日に「変わらなければ」という記事を更新してからは、だんだん見違える程に本当にその時々の時間を楽しまれていて。

同じくお渡し会/伝声管のブログ記事で

 

ファンの方は凄く私を受け入れてくださっているのだなと肌で感じられました。

 

と仰っていて。

そう感じてもらえてるんだと思った瞬間胸が熱くなってとても嬉しくて、嬉しくて喉の奥がきゅーんっとしますね。

 

だからこそ、これから、このそらがどこまで青く続いてるんだろうなと思うと凄く泣きそうになりながらもワクワクしてくるんですよね。


 

ふと、今部屋のスピーカーから流て来たのは米倉千尋さんの楽曲“10 YEARS AFTER”。

 

 

“10 YEARS AFTER 10年後の私は 

どうしてるだろう どんなふうに 

あなたを好きでいるだろう”

10 YEARS AFTER 10年後のあなたを 

みつめてみたい”

 

 

10年後の世界は、そらはちゃんと青いんですかね。

僕達はどんな青に、包まれているんですかね。

綺麗な青だったらいいなぁって。

 

 

他の星から見てこの世界を、「青い星」を綺麗な星だなぁと思ってもらえる様に、

雨宮天さんがずっと『青』を好きでいてくれる様に、

この『美しい青』を今後もどう守っていくのかが大事なんじゃないかなーって。

 

なんかくさいこと言ってるなと思うけれど、「楽しい」って思ってもらえる事が1番嬉しいですからね。

 

アルバムにそれを提げてのツアーやリリースイベント。あの優しい心地よい青の涼しさをまた感じれる秋が、とても待ち遠しいですね。

深呼吸したらもう秋のにおいがしそうなくらい。

 

今日のアニメロサマーライブそしてこのアルバムやツアーから始まる23歳の1年が、なんて言わずに、これからの雨宮天さんがもっと幸せでありますように。

 

あなたから貰った幸せのその何倍も、あなたが幸せでありますように。

 

 

 

凄いな、雨宮天さんの誕生日なのに古代ギリシャの書物から冠位十二階、話は宇宙にまで波及し、締めは環境問題。

 

節々で言ってるけれど、青い色を心に思い浮かべるだけで、いくらでも言葉が湧いてきますね(ちがう)。

 

 

宇宙にまで飛び出すとさすがに収拾がつきません、集大成/終体制しないとですね。

 

 

もし、宇宙にまでお付き合い頂いている方が居らっしゃるとすれば、ここまで苦難の旅でしたが最後までお読み頂きありがとうございました。

 

相変わらず見ていて恥ずかしい事ばかり書いていますね。

黒歴史?いいえ、それはきっとブラックホールです。

 

話の半分以上を『青色』についてに注ぎ込んでしまいましたが、僕が雨宮天さんに抱いてる、なんか、こう、綺麗な、青いモヤモヤを少しは形に出来た様な気がしてはいます。

 

 

青色が大好きです。

 

 

「言いたいことは最後に書け。」と雨宮天さんの国語の先生が仰っていたという話をソライロのリリースイベントだったかでお話しされていたので、最後に1つ。

 

やっと話を今日という日に伝えなければいけない事に持っていけそうです。

 

 

自分で言っていて歯が浮きそうなほどの言葉ばっかり並べてきたせいで、歯が宇宙空間に飛んでいったみたいです。もう喋れません。

 

地球は今日も青いなぁ。