【映画感想】泣き虫しょったんの奇跡-ドラえもんは過去から来る-



しょったんはのび太くんだった。

 

編年体で描かれる本作、物語はしょったんの小学生時代から始まる。

 

四月、新しい学年、新しいクラス。新しい担任。教壇に立った女性の先生は自己紹介をする生徒ひとりひとりに質問をしていく。

 

「最近楽しかったことは何かある?」と尋ねられてもしょったんは答えられなかった。

すると女性の先生は質問を替えて「好きなものは?」と問う。

 

しょったんは数秒口を噤み、「ドラえもん」と答える。

失笑が渦巻く教室、しかし女性の先生だけは「いいじゃない!」と同調する。

 

「しょったんはドラえもんのどういうところが好きなの?」

 

「…のび太くんを助けにきてくれるとこです。」

 

「じゃあ、しょったんはドラえもんに助けに来てほしいんだ?」

 

再び口を噤むしょったん。

そんなしょったんに、先生はこう寄り添う。

 

「いつか、しょったんの所に来てくれるといいね。」


本作はノンフィクションらしい、ノンフィクションな映画だったと思う。

 

しょったんは毎日毎日いろいろな人に出逢う。

しかし、そこで出逢った人々は出番を終えるとこの映画では一切その後登場しない。

 

それは何故か。

それは彼らは他人だからだと思う。

 

小学生時代における女性の先生、奨励会受験を後押しした将棋センターの席主、隣の家に住んでいた夢破れたライバル、恋心を寄せられていた喫茶店の女の子。

奨励会へ進んでも、『年齢制限』という鉄の掟と『才能の無さ』故の葛藤に夢破れた者、自分と違い四段昇格を決めプロになった者、多くの仲間たちが去っていく。

 

彼らは皆印象的な人間ではあったが去っていた後は一切再び登場することはない。

ライバルの男の子はアマ名人となった。

 

分かるのはそれくらい。

 

他人であるから、僕らは彼等がその後どうなったかを知らされないし、知らない。

「一期一会」と言ってしまえば重みが薄れてしまうが、人生において、人との関わりってそうだよなと思った。

 

学校の先生、昔の友人、それらの何か特別な名前を関係性につけられないような人たち。

彼らは時の流れと一緒に、いや彼らをその時に置き去りにしてきたのは僕なのかもしれない。


しょったんはその後三段リーグで年齢制限を迎え、プロ棋士への夢は破れる。

 

将棋以外に何もしてこなかったしょったん。

その絶望した姿はさながら自分は何もできないというのび太くんだった。

 

そんなしょったんに再び将棋の楽しさを思い出させたのは、隣の家に住む過去のライバルだった。

そして再び、アマ名人となりプロ棋士という夢に挑み出す。

 

そんなしょったんの挑戦を知り全国各地から激励の手紙が届く中、一枚のハガキが目に留まる。それはあの女性の先生からのハガキだった。

 

その手紙には「だいじょうぶ、きっとよい道が拓かれます」という言葉がプリントされたドラえもんに添えられていた。

 

倒れそうになったとき、その言葉にもたれ立ち直るしょったん。

ドラえもんは未来からではなく、過去からやってくる。

 

対局中も何気ない過去から来たドラえもんたちの顔が、声がしょったんの背中を押す。

 

そんなドラえもんたちの助けを借りて、挑戦を続けていくしょったん。

そんな彼の活躍が全国各地に届けられ、彼の前を去っていった他人たちにも届けられていく。

 

奨励会受験を後押しした将棋センターの席主、恋心を寄せられていた喫茶店の女の子、『年齢制限』という鉄の掟に夢破れた者、自分と違い四段昇格を決めプロになった者。

 

彼らも彼女らも、しょったんの元に過去から訪れたかつてのライバルも女性の先生も、みんな自身の人生においてはのび太くんなんじゃないかなと思う。

 

逆を言えば、彼ら彼女らの人生においてしょったんは既に目の前から去っていった人間であった。

そんな彼ら彼女らの時間に、ふと過去からドラえもんがやってくる。

 

そしてしょったんの活躍に心を動かされ、助けられる。

しょったんはドラえもんだった。


「ドラえもんって未来からじゃなくて過去から来るんだなあ」と思って、それについて書くために断腸の思いで外したシーンがある。

 

それは女性の先生、鹿島沢先生がしょったん少年に対して「そのままでいい。」と優しく包むシーン。

 

お父さんの「好きなことを好きにやれ」もほとんど同じ意味なんだろうけれど、「そのままでいい。」は一言一句、僕が心を包まれた言葉なのでこちらを採用する。

なんじゃろな。

 

僕自身、言われたい言葉/言われて嬉しかった言葉として「そのままでいい。」は1番かもしれなくて。

 

誰に宛てても届けたい言葉はそれだったりするのかな。だからこそ、他人が結構どうでもいいのかもしれない。その人らしさがあるままに救われてほしいっていうか。

 

にゃーんて思ってる一方で、いつかどこかで、全く自分が知らないままにその人がそれぞれに好きな人たちに囲まれた中で自分が好きな人のドラえもんになれたらいいなあって思う。

 

僕自身もやっぱり、僕のところに来るドラえもんはいつも過去の思い出からやって来る。

小学校の先生、多分もう出会うことのない学校同輩たち、一緒に野球をした仲間たち、ええい、キリがない。

 

だから、こうして今目の前にいてくれる人たちもこれから過去になって、ふと何かのときにやって来て助けてくれるのだろうな。

 

あ、今からすれば「あの頃」と遠くなってしまった過去からやって来るからドラえもんって遠さの青色をしているのかもしれない。

 

でも水色っぽいよな、もうちょっと真っ青としろよドラえもん。

 

いつも助けてくれてありがとう、ドラえもん。

そんなドラえもんになりたい。

 

 

When you are old and grey and full of sleep, 

And nodding by the fire, take down this book, 

And slowly read, and dream of the soft look 

Your eyes had once, and of their shadows deep; 

 

W. B. Yeats (1865-1939)

"When You Are Old" 第一連