【感想文】②「mellow moment」に今見せてもらっていることについて(雨宮天「Ten to Bluer」より)


雨宮天さんの4th アルバム『Ten to Bluer』を聴いて、今見えてるコトについて。

 

『私はライブでは曲ごとの世界観を可視化したいんですよ。』

『それぞれの曲を可視化するようなステージにしたい。』

雨宮天「PARADOX」インタビュー|ポップに突き抜けた新境地の10thシングル - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

と自身のライブパフォーマンスについて語っている雨宮さん。

 

「それならば」と、雨宮さんの『可視化』が届けられる前に自分の心を震わせたものを言語化しておきたいなと。

      

まだそのお弁当箱に押し込めるのは早いなあということ、ライブの可視化と和えたいなあということはカットしつつ、以上の二点をベースに、コトコトと煮込んでいければなと。

 

ツアーまでにたくさん聴いて、これまでの生活で感じてきた感情を縒り合わせながら、また新たな感情を織り繕ってみたいなと。

 

今回は、トラック05mellow momentについて。

ぽやぽや考えすぎちゃって筆がいつも遅いので、今回は小分けのパウチに。


05.mellow moment

05. mellow moment

 

作詞:西野蒟蒻 作曲・編曲:涼木シンジ

-----

 

今回のアルバムでは洋楽っぽい雰囲気も取り入れたくて、その中で「等身大で寄り添ってくれる系の洋楽枠」として制作しました。

(“青き民”への感謝の想いを込めて――。雨宮天、4thオリジナルアルバム『Ten to Bluer』、そして活動10年を迎えた今の気持ちを聞いた。)

 

という『mellow moment』。

 

傍に寄り添ってくれるような歌声がとても心地良い曲ですよね。

 

雨宮さん自身が

 

「mellow moment」は2番Aメロの歌詞に「さりげない心地よさで」とありますけど、まさにそれを目指しました。どこにもぶつからない、角ばったところをすべて取り払ったような丸い声色を意識しながら。

(雨宮天「Ten to Bluer」インタビュー|“好き”を追求した先にたどり着いた、濃厚な青の世界)

 

とお話しされているように、本当に「角ばったところをすべて取り払ったような丸い声色」という言葉に幾度もニヤニヤしながら頷けるような優しさで。

 

手を差し伸べたり背中を押すような一言をくれるのでもなく、気がついたらそっと隣にいてくれるような曲だなあと感じています。

 

とても等身大なメロディーや歌唱で。

だからこそ、すごく「自分事』の出来事のように感じさせてくれる曲になっているんじゃないかな。

 

『Lilas』や『Song for』、『Next Dimension』に近いようで、でもそれらの曲にある他者の存在を感じるでもなく。

 

「自分の人生の中でふと自分自身で立ち直っていくような曲」、そんなふうに感じているのです。

それの手伝いをしてくれる、みたいな曲なのかな。

 

 

でも人ってそんな簡単に自分で立ち直れることばかりではないようにも思えていて。

 

なんだろうな、こう。

すこし言葉を尽くしていくと、雨宮さんが

 

 

実は最初にいただいた歌詞は恋愛のほろ苦さを描いたものだったのですが、(...)もう少し広い人間愛や人間関係を描いた歌詞に変えていただきました。

(“青き民”への感謝の想いを込めて――。雨宮天、4thオリジナルアルバム『Ten to Bluer』、そして活動10年を迎えた今の気持ちを聞いた。)

 

とこの曲の世界観についてお話しされていましたね。

 

最初の「恋愛」の要素が取り除かれて、「広い人間愛や人間関係的なほろにがさ」が曲に残されていると思うんですけれど。

 

 

平メロで綴られている歌詞からは、「人と関わり続ける日々にじんわりと疲れている人」の姿が描かれているように受け取っていて。

若干、雨宮さんの歌唱からも少し影を微かに感じられて。

 

グラスの氷のように かき混ぜられるたびに

My heart また 溶かされてく

 

という1Aのフレーズ、その「疲れる感じ」を綺麗な言葉で描いているなあって思っていて。

 

人は人と関わり合って生きていくなかで、ときに自分を殺すように生きていかないといけない。

 

自分のなかにある「価値観」や「考え」を削ったり変容させたり、ときにはそこに捨ててまで、誰かに、もっと大きなものに合わせて。

 

誰にだって優しくしているときほど、自分以外の優しい人には会えなくて、救世主になるしかなくなる。そうやっていつか誰かに裏切られて、殺されて、人生が終わる。

 

 

自分じゃない何者かに合わせて、自分じゃない何者かに自分を迎合させて。

そうしないと、『上手に』生きていけないようにこの世界はできあがっていて。

 

グラスの氷のように かき混ぜられるたびに

My heart また 溶かされてく

 

(自分の手は及ばない力により)かき混ぜられることで氷は削られていく。

削られた氷は水に溶け入り、もう個としてそこには存在していなくて。

 

人と繋がっていくこと、関わっていく中で意識的にも、無意識的にも、心が削れて迎合していく様を少し哀愁を伴って喩えているフレーズだなあと。

 

そしてその1Aの歌詞が、少し窮屈なメロディーラインの中で足早に歌われていることと、雨宮さんの若干影を孕んだ歌唱とが相まって、なんかこう、本当に綺麗だなあと思うのです。

 

 

「ならもうずっと一人でいいや」というフレーズが並ぶ1B。

 

そうした「人と関わり続ける日々にじんわりと疲れていく」ことに疲れて、ちょっと視線が下がってしまっている様子を歌唱からも感じることができるなあと。

 

そうだなあ。

 

自分じゃない何者かに合わせて、自分じゃない何者かに自分を迎合させて。

そうしないと、『上手に』生きていけないようにこの世界はできあがっていて。

 

自分が生きている日々すべてを、望んだように生きてこられたかというと、強く頷けることはできなくて。

 

むしろ、流されてしまうこと、自分じゃ止められなかったこと、「そうせざるを得なかったこと」がいくつも、いつまでも自分の中にうずまいていて、そしてその日々が自分の人生として、自分の人格として刻まれていってしまう。

 

そのことにひどく疲れてしまうこともあるのだけれど。

 

でも、それって本当に仕方なくて。

 

人生っていう物語はたぶん、良い意味でも悪い意味でも、自分一人では完結できないようになっていて。

 

1番の歌詞はその「悪い意味」での「自分一人では完結できない感じ」が描かれているように捉えていて。

でも、2番以降の歌詞は「良い意味」の方だなあと思っているのですよね。

 

 

メジャースプーン2杯分

必要最低限度の

しあわせ綴ってた 毎日に

あのカフェのjazzのように さりげない心地よさで

Your tone そっと 流れてくる

 

じんわりと疲れていく日常の中で、ふと聞こえてきた声。

「ああ、あの人だ」とすぐにわかるような、慣れ親しんだ口ぶり。

 

そういうものに、「ああ、こういう日常もあった」とふと気がつくシーン。

 

慣れ親しんだ日常、気の置けない友人たちとの会話。

他愛のない、でも他所にない優しく穏やかな時間。

あの人の曲や届けられる作品、頑張っている姿。

 

 

そうしたものが、少しずつ自分自身が錆びついていくような日常を過ごしてる内に「もうこの日常が居場所なんだ」としか考えられなくなってしまった心に、本当の居場所、本当に居たかった場所の存在をふと思い出されてくる。

 

そうした穏やかな微睡のような存在は、いつも変わらず、さりげなく、心地よく変わらずに自分に寄り添ってくれていて。

 

いつも勝手に見失ってしまうのはこちらなんだけれど(笑)

 

でも、そうしたほんの少しのしあわせに触れるだけでぜんぶぜんぶありに思えるんだ。

 

人ってそんな簡単に自分で立ち直れることはできないけれど。

でも必ずいつかどこかで、そうしたものの力を借りながら自分で立ち直っていく。

 

深いため息も、ほっとひと息で微睡になっていく。

 

そういう風に。

そういう風に人生っていう物語は、たぶん自分一人では完結できないようになっているんだと思う。

 

人生は果てしない徒労だ。

僕らの日々はいつも少し淋しいから。

 

人間関係ってすごく疲れるなあって、よく思う。

 

でも、雨宮さんに出会って、雨宮さんのおかげでいろんな友人たちができて。

 

雨宮さんや友人たちと関わり合う中で、人生の宝物って他人からもらうことが多いなってことに気がついて。

宝物って、きっと「他からモノ」っていうものが語源なんじゃないかなって思ってるんですけれど。

 

この曲を聴いてると、この曲の主人公がふと身近なものに肯定されたように、そうやってもらってきたモノの存在を思い出して心地よく救われていく感じがあります。

 

2Bでそんなことを感じながら空を見上げていたところに流れてくる間奏のギターソロ、エモすぎてマジで泣いてしまう。

 

あとは、そうだなあ。

 

サビに置かれている「トゥトゥル トゥトゥトゥル」というフレーズが、歌詞カードに載っていないことが、なんか好きで。

 

それらが言葉にならず、詠嘆のほとばしりとして漏れてしまう様子がなんだか愛おしくて、好きなんだよな。

『Lilas』のアウトロの、「Huh〜」とか。

 

なんだろうな、こう。

ここの感覚、まだ美味しいカレーにできてない感覚なんだけれど、なんだろうな。

 

僕は「感情」と「言葉」って別のものだと思っていて。

感情は感情としてあって、言葉はその感情に意味が与えられたものというか。

 

歌詞カードに載っているものは、ぜんぶ「言葉」に昇華された感情だと思っていて。

 

人間の感情って全部が理路整然としているわけじゃなくて、だからこそ、すべての感情が言葉になれるわけじゃなくて。

 

僕自身あまり感情を削ぎ落として誰にでも伝わる均一的な言葉にする作業が苦手で、言葉というものに劣等感があるところなんだけれど。

 

でも、音楽が好きなのは、その「一度感情を削ぎ落とされて均一化された言葉」に再び感情を肉付けされていくところがあるからなのかなあって、なんか今思った。

 

雨宮さんの曲がどの曲も結構好きになるのは、その「感情の肉付け」が声優らしいアプローチで巧みなところにも起因しているのかなあとも、なんか今思った。

 

この曲、どこの歌唱が好きとかじゃなくて、全部の歌唱の味付けがすごく好き。

 

私としては、ライブでは柔らかい光のなかでお客さんとみんなでクラップしながら楽しめる曲、というイメージが音から浮かんでいたので、みんなが自分ごとに思えるような、もう少し広い人間愛や人間関係を描いた歌詞に変えていただきました。今回のアルバムは全体的にライブの光景を想像して歌詞の方向性を調整してもらった部分が多くて、この曲もその1つです。

(“青き民”への感謝の想いを込めて――。雨宮天、4thオリジナルアルバム『Ten to Bluer』、そして活動10年を迎えた今の気持ちを聞いた。)

 

アルバムを作るときってライブを想像しながら作ることが多いんですけれど、この曲に関してはロックで私が歌い上げる曲とは別に、みんあとわらいあいながら一緒に歌えるような、そんな曲が欲しいなと思って入れました。

声優グランプリ 2024年4月号 53頁

 

ライブ、どんな穏やかな時間が広がっているのか楽しみね(´×`)


【次記事】:JACKPOT JOKER

 



■ライブ情報

LAWSON presents 雨宮天 Live Tour 2024 “Ten to Bluer Sky”

 

詳細:https://trysail.jp/contents/712658各地プレイガイド先行受付中

 

大阪・オリックス劇場

2024年5月11日(土)17:30開場 /18:30開演

2024年5月12日(日)16:00開場 /17:00開演

 

埼玉・大宮ソニックシティ 大ホール

2024年5月26日(日)17:30開場 /18:30開演

 

愛知・Niterra日本特殊陶業市民会館 フォレストホール

2024年6月9日(日) 17:30開場 /18:30開演

 

東京・立川ステージガーデン

2024年6月22日(土)17:30開場 /18:30開演

2024年6月23日(日)16:00開場 /17:00開演


『うじゃの遺言帳』

イベント・ライブ懐旧ブログはコチラ(主更新)